えとうのひとりごと

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礼節を失うと、心を失う。
2010年10月31日(日)

 先日、父からお米が届いた。毎年ではなく思いついた時に、突然に届く。だから、なにか体調に異変でもあったのかと時々心配になることもある。連絡しても「大丈夫だ」の一言。そして、つづけて「仕事は?」家族よりも孫よりも、この父にとって“男は仕事”なのだ。

 いつも連絡がくるたびに妻に「坊主は、元気か?」とたずねる人。この年齢になっても、父からすれば「ハナタレボウズ」と僕の原点をしっかりと教えてくれる。いつまでも、頭があがらない人がいるのはなぜだか有難いと心から感じている。

 昔は、この父が怖くて怖くてしょうがなかった。父は大阪で建築土木会社の経営者だった。代表取締役と言っても、ネクタイをしているところなんか見たことがない。いつも、革のジャンパーを羽織って建築現場に外車で乗り付けて、作業員と一緒にドロドロの現場を走り回っていた。まさに現場至上主義の経営者だった。

 父は、危険な現場ばかりの仕事を引き受けていた。それは、危ない足場の悪い現場ということではなく、暴力団事務所の隣にある現場である。

 昔の基礎工事はビルを建てるのに、ビルの下にセメントの巨大なクイを打ち込んでいく。その当時は、それをハンマーの化け物のような重機で大地に打ち込んでゆくので、かなりの騒音だった。
 現代は、ゆっくりと静かにドリルで穴を掘って、そこにセメントを流し込み、その固まっていないセメントの穴のプールにスルッとセメントのクイを下ろすだけなので騒音はほとんどない。

 だから、当時は暴力団関係者の事務所が隣にある現場なんて、だれも仕事を引き受けない。その結果、建築費が跳ね上がっても施工主はなんとか工事を請け負ってもらいたい。そんな仕事を、請け負うのが父なのだ。

 もちろん、当然、ヤクザとトラブルになる。それを威圧感にまさる当時の父は押しのけてしまう。そして、どこ吹く風と言わんばかりに父は工事を続ける。そうすると現場の前に有刺鉄線を張られて工事現場に入れなくなる。父はそれをトレーラーで引き倒して工事を続ける。すると、父の会社の社員が、その組織に監禁される事態が生じる。すると、父は部下を連れて、その組織が経営するキャバレーで豪遊して、お勘定の時に、「お前のとこの上の組織に付けとけ。文句あるなら部下をつれて、いつでも来い!」この事件は警察も入って大騒ぎになった出来事。

 いよいよ僕の家庭環境が複雑になり、僕は九州の父方の祖母に育てられた。田舎だから父と同じ中学校に入ることになる。そこでも、札付きのワルだった父のウワサは、イヤと言うほど聞かされることになる。

 そのころ体育の授業で、必須科目として柔道があった。その指導にあたる初老の先生になぜかにらまれる。その理由がわかったのは、卒業をひかえた時であった。父は幼い時から柔道が好きで、学生時代は柔道部に所属していた。その時の顧問がその先生なのです。顧問ならその子供の僕に親しくしてくれたらといいのにと思っていた。
 あとで父との会話で知ることになる。僕がにらまれた理由を。

 父が学生の時、この先生が理不尽なことで父の友人を殴った。父は先生に対して義憤にかられて、「こん棒をもって裏山まで追いかけ回したからや。ははは・・・」と笑う。僕はガックリと肩を落とした。そりゃ、にらまれるわ・・・・

 ただ、この父をベースに、心理学の世界に足を踏み入れて今にいたる僕なのです。すべてはこの父からがスタートだったのだ。ただ、なぜか魅力があるのだ。男として。

 僕の親しくしている心理学の大学教授が、親はありがたいですねと語ってくれた。学生の中には「いつも息子がお世話になっています。愚息な息子ですが・・・」と一筆手紙がくる。教授いわく息子に対する援護射撃だそうだ。やはり、教授も人間だから、学生のバックに親の優しい手紙の文体がチラつくという。どうしても、気にかけることになる。

 もちろん、僕の父はそんな人ではない。でも、僕が結婚する時に「坊主をよろしく」と妻に頭を下げた。この父だから僕の幼い時の家庭環境は、精神分析上は最悪だけど、僕自身精神的には強いのだと思う。

 生みの母に再会した時に、「あの父さんだったら、大変だったでしょう」と言うと、母は「それは違うよ、信之。あなたをここまで大きくしたのはあの人でしょ。私ではない。あなたが赤ちゃんのときにお前は、あの人にオシッコをかけたの。それをあの人は『なんだ、こいつは!・・・でも、男として勢いがある』と笑ったのよ。」と母が語った。

 それが、真実であるか、虚偽であるかは問題ではなかった。それは、僕にとっては生きるエネルギーになったのが真実だから。

 僕はカウンセリングの現場で、夫婦が離婚しようが、子供と別れようがそれで親を責めることはない。

 ただ親の別離は、子供には罪はない。いつか、親は幼い時の話を子供にしてほしい。たとえ、それが優しいウソであってもいい。「あなたは、こんなに愛されたのだと・・・」

 インディアンはウソをつかないと言う。でも、やさしいウソはつく。人が幸せになるウソを・・・。「いつも、お前はすべてから愛されている」と・・・。なんの確信もないのに。でも、信じればそれが信実(真実)になる。

 インディアンには「ギブアウエイ」と言うものがある。

 何かをもらったら、感謝して与えかえす。だから、また与えられるという法則です。今の時代、与えてもらっても返さない人が多い。与えてもらったことを返さない人々は、一時的に成功しても、いつかは落ちぶれる。

 まさに、平家物語の昔から、驕(おご)れる者久しからず、盛者必衰は天地の法則。かならず、人には浮き沈みがある。自分の力だけで成功を勝ち取ったように思う人は、必ず、次の瞬間には消えてゆくようです。

 親の恩、人の恩、すべての縁をくれた人の恩を忘れた人は、僕の知っている限りでもうまくいかなくなる。

 奈良県出身の吉本伊信先生が広めた、内観というものがある。うまくいかなくなった時には、今までの人生で深くかかわりをもらった人たち、ひとりひとりについて、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」この三点をひたすら思いだす方法です。

 思いだすとどうなるのか。今までいかに人のおかげで生きてきたかに気づく。おかげを受けていながら自分は少しも感謝せず、お返しもせず、いかにも自力で生きてきたかのように思いあがっていたことに気づき、懺悔(ざんげ)の気持ちがわいてくる。すると人生はまた好転するというのです。

 僕と「イーグルに訊け」(飛鳥新社)を共著してくださった天外伺朗先生は著書の「運力」(祥伝社)で、人には、誰もが仕事もプライベートも、すごく上手くいく時と、上手くいかない時があると言う。

 天外先生は、その盛者必衰を、海の「波」ウエーブにたとえて、波が最大の高さのピーク(頂上)と波が最低の高さのボトム(谷)の時があるとその書で言っています。
 うまくいく時(ピーク)の時には、今まで泣かず飛ばずの不調期(ボトム)の時代に、お世話になった人々の助力を考えた人は成功の「運力」が味方につく。

 そして、ボトムの時には、それはピークが来るための準備段階だから楽しんで学び、そして、次のビジョンを考えて前向きな人は不調な時期も奈落まで落ちなくて、やがてさらにピークが再来するという。

 有名な「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」のお話も同じことです。塞翁さんの家から馬がいなくなった。でも、その馬がメス馬を連れてきた。

 この時に現実の世界では、馬がいなくなったのだから、塞翁さんのところはアンラッキーな状態です。つまり、ボトム(谷)のときで、最悪だと思ってしまいます。でも、その見えないところでは、いなくなった馬が、メス馬と出会っているという隠れたストーリーが展開しています。

 ボトムの時代が、やがてくるピークの時代をつくる。さらに、その二頭から子馬が生まれる。現実はラッキーとなる。その子馬にまたがって息子が足の骨を折るという(アンラッキー)の準備が着々と見えない世界では動いている。塞翁さんはそれを前向きに感じられる能力の持ち主だったから、彼の息子は最終的に戦争に行かなくてよかったのだと天外先生は考察する。

 波がピークの時に、谷に向かっていく準備を始める。だから、そのピークの時に、どのような態度で日々過ごすかがピークを持続させる「運力」だそうだ。

 でも成功の時は、どん底を忘れてしまうものです。

 僕も、あの幼い頃の「谷」のボトムエネルギーで、いまの生活がある。これを忘れてはいけない。思い起こすに父との「内」なる心の葛藤がなくなるとともに、「外」である僕の生活は向上してきたのは事実なのです。

 以前にこんなことがあった。

 僕の受講生が本を出版した。その受講生はメンタルに来たことがキッカケで、心理学に興味を持ち、臨床心理士の資格を2004年にとり活動していた。その本に、僕がオリジナルで伝えていたことが少し変えて書かれていた。それをある人に指摘されて、彼はしばらくして本を贈ってきたらしいのだが、ただ残念なことに手紙も一筆もそえられていなかった。

 しばらくして、彼にあった時に、体育会系の僕としては「すごく読みやすく書かれていたよ。でも、人間関係を君も伝えているなら、出た時に教えてくれよ。それが大人のマナーじゃないかなぁ。もっと、早く教えてくれれば宣伝もできたし、僕も教え子の活動だから、すごくうれしいんだよ」と。すると「挨拶しようとおもったけれども、先生は忙しいだろうから本を読む時間がないと思って」と、彼はいさぎよく謝るどころか、子供みたいな言い訳をした。

 多分、もう卒業して何年もたっているのだし、もう一人で活躍しているのだから、なぜ、いちいちお礼を伝える必要があるのかとか、または自負心もあったのだろうと思う。でも、その理屈が通らない人間もいるのだと教えたかった。

 とくに、武士道を重んじる僕としては・・・・

 自分が学んだ恩を忘れるような人間が、なぜ、人の道を説くのかと・・・そしてやがて彼の教室は生徒がこなくなり閉鎖したと風のうわさで聞いた。きっと、彼は今、もう一度「谷」の時代に学びなおしているのだと思う。

 やっぱり「がんばれ!!」と思う。

 いま、親に対して、恩師に対して、社会に対しても、礼節が希薄になったと言われる。

 だから、僕も問い直してみたい。

 父がいたから、僕の今があり、多くの人のおかげで今の自分の存在があることを。人のことはさておき、これからは僕も、お返しをしていかなければと思っている。

 人は新しい出会いが多いと、「谷」の存在を忘れる。でも、ピークの波のパワーは「谷」の存在によってエネルギーがもらえるのだ。ピークの時の過ごしかた、考えかたで、人生は大きな差が生まれるようです。

 もし、この”ひとりごと”の読者の中に、いま人生がうまくいかない人がいるのなら、プチ内観を勧めます。「谷」の時代に出会った人々や父、母、上司にしてもらったこと、迷惑をかけたこと、自分自身がその人達にして返したことを紙に書いてみると自分が独りで生きてきたのではなく、誰かの存在に支えられ、刺激されて「今」の自分が存在すると感じることができるから。

 インディアンは言います。僕たちは命の織物。そして、一本の糸は、他の糸と織り合わせてはじめて存在できるのだと・・・・

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