えとうのひとりごと

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筋肉思考でいきましょう
2010年11月26日

 日本メンタルヘルス協会のすすめで、個人的にアメ-バブログを始めました。

 ブログを始めてみて気づいて、変化したこと・・・・

 それは日々の生活を意識すること。いつも、博多から始まって、大阪、名古屋、東京と移動する僕は、どこを歩いて、何を見ているのか。そして、自分が、何を考え、何を感じているのかを意識するようになりました。

 意識することはとても大切です。

 ただ、なんとなく歩いて生活を通り過ぎて生きているだけでは、人は日々の日常にマヒしてしまいます。心をつねに観察してみなければ。

 大珠慧海(だいじゅえかい)という禅師が「和尚は、生きることのコツは何ですか?」と問われ、「腹がへれば飯を食い、眠たくなれば眠る。それが、コツです」質問した人は、「誰もみな、そうしていますよ」と言うと、

 禅師は、「人は、食べている時に本当に食べてはいないで、あれこれ考えごとをしている。眠る時にも本当に眠らず、いろいろなことを考えている。そこが、私と違う」

 “あそこに電話しなければ”“もう、子供を送りださないと学校に遅れる”“そろそろ、会社に戻らないと”と、あれこれといろいろ考えて、味わって食べてはいない。

 また、眠る時も、“明日のために早く眠らなければ”“どうして、眠れないのだ。枕か?マットレスの問題か?アロマを焚いたほうがいいのかなぁ?とあれこれ考えている。僕は眠る時には真剣に眠る。

 一生懸命に働いて、今日やるべきことをやったのなら、人間の身体は、疲れて眠れるわけだし、自分の体力の限界まで自分を追い込めば、人は自動的に、脳に眠りのスイッチが入るのです。

 眠れないと言えば、カウンセリングに来られる人は、なぜか、「眠らなければならない」と真剣に悩んでいる。「なぜ、眠るのですか?」と聞くと、「明日、気持ちよく働けるためです」と応える。

 僕は、これとはまったく逆です。僕は「気持ちよく眠るため」に、自分の限界まで、追い込み、今日の自分を使い切ります。

 不眠の人は明日のために眠ることと戦う。僕は気持ちよく眠るために、今日、死に物狂いで生きる。不眠の人と僕の思考は、まったく逆なのです。

 そして、命も、心も、身体も、一日も使い切る。そうすれば、限界を超えて、人は強くなると僕は信じている。疑っている人には奇跡は起こせないと思う。自分が「限界かな?」と思った時に、人は限界という「枠」をつくる。

 三分のスピーチで、「自分はあがる」と思っている人は、その枠内思考であがりはじめる。だから、僕が講座で、時に三時間以上も台本がなしで話すと「この人は特別なのだ」という外の「枠」にいれてしまうから能力が伸びない。

 日本メンタルヘルス協会の講師陣や卒業生の講師も、一般の人から見れば話の達人です。でも、最初から、そうだったわけではないのです。それは、僕の教室に来て、身近に話せる人をマジかに観て、そのコツをつかんで「枠」を外せば、誰もが話せるようになるのです。だから、メンタルの講師陣達は、毎日三時間ちかく、いろいろな心理セラピーを解説するのが日課です。そうなってみると、それが普通で日常のことだと気づくのです。

 「昔の自分から見ると奇跡だ」と、講師の彼らも口をそろえて言います。そして、周囲の人から見ても、それは奇跡に思えます。

 成功者のテクニックも同じです。僕は一般の成功者には興味はないですが、ただ、一般的にいう成功者の考え方も同じことなのです。年収が数億の人と、年収が数百万の人とは何が違うのか?

 細胞の数も同じ、脳のキャパシティも同じ、友だちの数もさして違いがありません。ただ、年収が数億の人は、その生活が「現実の枠」なのです。だから、それが普通だし、リアルな日々の日常なのです。

 でも、年収数百万の人には、数億のリアリティがないのです。そして、自分で「枠」を設けます。「まず、ムリ」と。その日々を想像することができないのです。でも、年収数億稼ぐ人は、それが彼らの「現実の枠」なのでしょう。

 何をするにしても、自分を信じることです。自分の限界の「枠」を決めないことです。「もう、自分は限界」と言った瞬間に、人はその限界にとどまります。

 だから、僕は自分をハードに追い込むのは、自分の限界を疑いたくないからです。

 イエス・キリストが、水の上を歩いているのを弟子たちが見て、ふるえ上がりました。幽霊だと思ったからです。
 でも、イエスが、一人の弟子に「水の上を歩いて来なさい」と言ったので、言われた弟子は、恐る恐る水の上を歩いて、イエスに近づきました。でも、途中で「自分は水の上を歩いている」と思うと不安になり、水の中に落ちて溺れはじめました。イエスは、その弟子を水の中から助け出し、「自分を疑っただろう。自分を疑ってはいけない」と教えたという。

 本当に水の上を歩いたかどうかは、分らないけれど、それは比喩としても、とても面白いと僕は思っている。自分を最初から疑えば人は失敗する。

 ただし、自分の限界を決めなければ、人は自分の「枠」を広げられる。

 僕は、筋肉トレーニングをするのが好きです。でも、ボディビルダーのようになるわけではなく、年齢に逆らって身体のラインを保ちたいからなのです。身体がしなやかだと、心もしなやかになる。それが、自分を好きになる一つの材料だから。

 さて、皮下脂肪の燃焼は、激しすぎる運動はダメで心拍数が120~130位の運動がいい。運動時間が短すぎてもダメ。
 だいたい、ゆるやかに15分くらいから脂肪は燃焼しはじめる。だから、散歩ならば15分過ぎからが、脂肪の燃焼が始まります。それよりも短い時間だと疲れるだけで痩せないのです。

 そして、激しい動きよりも、ゆるやかな動きのほうが深層筋(インナーマッスル)は鍛えらます。
 浅層筋(アウターマッスル)を鍛えてムキムキになっても、深層筋の柔軟性がないと各種のスポーツに向かない身体になる。だから、ただ筋トレといっても、知識がいるのです。

 筋肉には、コントロールマッスルの随意筋とノン・コントロールマッスルの不随筋がある。

 自律神経がコントロールしているのは不随筋です。ノンコントロールの筋肉ですから、眠っている間も、意識から自立して心臓、胃、腸、発汗、血圧調節などが自動的に動いているのです。

 そのため、自律神経が失調(バランスを崩す)すると、突然、心臓がドキドキしたり、暑くもないのに汗が出たりします。

 さて、「わたし筋肉がないの」と言う人は、自分の意志でコントロールできる随意筋のこと言っているのです。なぜなら、不随筋がなければ呼吸も、心臓も止まってしまうのですから。寝ている間に死んでしまいます。

 でも、「筋肉がない」というのは、「ない」のではなくて、自分が意識できる筋肉を、「意識することができなくなった」ということなのです。

 僕はトレーニングしていて気づいたことがあります。それは、筋肉をただ動かしてもダメなのです。大切なのは、筋肉の動きを意識すること。トレーニングしていくうちに、筋肉の動きが自分の意識に上ってくるようになる。

 僕は大胸筋(胸の筋肉)をピクピク動かせます。

 これも、トレーニングしているうちに、“ここは”こうして動かすんだと意識すると、脳の中で神経細胞のシナプスがつながる。そして、上腕筋はこうやってと、また、そこを意識すると、脳内の神経回路がつながり、末梢神経を経て筋肉に指令が伝わる。これがわかると、みるみるうちに、筋肉がつきはじめ、面白くなる。

 これは筋肉だけではなく、僕たちはあらゆることを意識することによって、脳の中の神経回路をつなげてゆくのだと思います。

 講師トレーニングで講師陣に教えている中で、人の能力は意識すれば、覚醒するんだと思えるようになったのです。

 そうです。大切なのは意識して歩く。意識して日常を観察する。自分の能力も意識して限界の「枠」を外す。

 さらに大切なのは自分の能力を信じるということです。自分で、マイナスな側面を意識しない。「疲れた」「私にはできない」「得意でない」「失敗する」「もうダメだ」これらがブレーキになるセリフです。
 このセリフを発することが自分のブレーキになります。いつも自分でブレーキをかける人は、それがクセになっていて、ある段階で動けなくなります。

 また、マイナスの意識を、周囲から与えてくる人もいます。

 僕はそんな人を、ミッション・デストロイヤー(目的を阻む人)と呼んでいます。その人はこんなセリフを言います。
 「あなたにはできない」「ムリだよ」「失敗するわよ」「あきらめなさい」「前例がない」「普通は」「あの人は特別だよ」「楽しもうよ」

 こうしたミッション・デストロイヤーを打ち破る呪文は、坂本龍馬の心意気なのです。

 「ほたえなや(さわぐなや)」

 「世の人は、我を何とも言わば言え、我なすことは我のみぞ知る」

 僕は、人間の限界は拡大できる存在だと思っています。

 筋肉と同じ。

 限界を超えて重いバーベルを挙げる。そして今ある筋肉の繊維をブチ切る。切れた箇所はすぐに修復されるとともに、その重さに耐えられるように、さらに、筋肉が太くなっていきます。こうした自分の能力を信じるしかないのです。

 そして、時期が来たら限界を越えて太くなった筋肉をさらにブチ切る。そうすると、さらに身体はその現実の負荷に適応するために、新たな筋肉を作るわけです。

 それは、心にもあるのです。せっかくいただいた命、しっかり味わい、人生を経験し、人が歩かない道を目指し、使い切らなければ。そして、還す時には、還すべきところへ還す。

 僕の愛した龍馬も最後は還しに行くべきところに行って、こう語ったと思います。

 「よう動いてくれましたきー、わしのこん身体、もう、どこも使っちょらん所ないですきに」と、あの笑顔で・・・・

 それが、人間の身体の能力です。筋トレの最後の、かけ声は、「あと一回」「君ならできる」「もうひと踏ん張り!ノブ」僕の、好きな言葉です。

 僕は、人生も、そのように限界を超えて、能力が向上すると思って疑わないのです。

 最後に、僕は最近思っています。いつの間にか日本人は、サプリメントを飲んで、ストレスをかけないで、ムリをしない生き方をするようになりました。本もセミナーもそういうキャッチコピーが踊る。「楽してお金を稼ぐ方法」「すぐに成功する方法」「これであなたは遊んで暮らせる」

 そう教え込まれると、自分にマイナスのブレーキをかけるのがクセになる。

 「自分はムリしているのではないか」と「休まなければならない」のではないかとマイナスに意識が向く、そういう時代のほうが自殺率やうつ病は増えるのです。

 世界の中で日本が、戦後の高度経済成長をし、注目されていた頃。あの頃の「日本人」は、だれもがみな限界にチャレンジしていたように思えます。今、まさに黒船の襲来の時代。だからこそ、もう一度、日本は、国と国との戦いではなく、自分の限界との戦いを生きる時代なのだと思っています。

 だから、戦ってはいかんのです。戦うのは内の戦いなのです。乗り越えましょう。今一度・・・

 「日本を今一度、洗濯いたし申し候」なのです。


★【事務局より】このひとりごとに関連する過去のひとりごと★
  ●2003年 12月2日 失われた武士道を思って。







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