過去とのにらめっこ | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■過去とのにらめっこ
1999年3月15日
 あるときから大きな声で話すことを覚えました。悲しいときには笑うようにすることを覚えました。心の中で不安になったとき、「大丈夫、きっとうまくいく」というようになりました。そしたら、いつしか自信が生まれました。
 人が“うわさ”話しをしているときには、「いろいろあるわな人間だから」と肯定とも否定ともつかない返事でごまかしてお茶を濁すようになりました。なぜなら、カウンセラーとして裁きたくないから、悪いウワサされている人も、している人も。すくなくともいない人のウワサしているときの自分の顔が嫌いだと、いつからか思ったから。

 いつも、他人のウワサ話しで生きているあなたへ。笑ってみませんか。人は人。自分は自分ですよ。

 なぜにそんなに人のことが気になるの。うらやましいから。自分は正しく生きているから。それとも、自分が頑張って抑え込んできたことを、その人が平気でやっているように思えるから。
 「ゴマすってなにさ」「常識じゃないか」「俺はいつでも言ってやるよ」「正しいこと言って何が悪い」などなど。

 これも全部、その相手にこころ捕らわれているからなんですよ。手放してみませんか。
 人に腹立たしさを語ったところで何一つ前向きになれないから。前を向きませんか。人生を楽しんでいる人は、今の環境に周囲の他人に、やさしくなれるのだから。
 もし、あなたがフルマラソンに完走した。宝くじで一等が当たった。アカデミー賞にノミネートされた結果、一番最高な賞を取った、そんなとき人は誰だって、すべての人に感謝できるはず。自分を傷つけた人、自分に冷たくあたった人にもできるはず。
 今の自分に最高に感じている人は、すべてのものに感謝できるはず。少なくとも授賞式で他人のウワサなど始めない、でしょ。

 笑っている顔のあなたは素敵なのに、ときおり、瞳の中に他人に対する不信感を持って笑えないあなた。人生は一回だけですよ。過去の恨みと復讐で生きるのも一回だけの人生なのです。いつも笑ってあっけらかんと生きるのも一回なのです。どちらを選ぶのも今という時に生きている「あなた」です。どちらの選択にするのかは「過去」が選ばせるのではなく、自分で選ぶのです。
 「過去は今の自分の選択権には影響を及ぼせない」ことに早く気づいてください。

 アダルトチルドレン(注:参照)と自らを称するあなたもそうです。もちろん親から必要な愛情をもらえなかったことは淋しいことだけど、それに逃げ込んで、今の自分の不甲斐なさや努力のたらなさまで親の責任に押し付ける方が、もっと淋しいと思わないかい。今という自分の人生を、強引に過去のしがらみに押し込めていないかい。
 親のせいだと恨みに感じることじたい、子供が自分で失敗した時に、お母さんのせいだと、だだをこねるのに似ている。それを心理学では依存というのです。
 そこから、脱皮できることが大人になることでしたね。そう、自分の責任で生きる。それが、大人です。自分で生きるのは大変だから、他人がどうだとか、あの人がこう言ってたということに、心を捕らわれるヒマがないのが大人なのです。
 あなたの心の視線は前を見てますか? それとも後ろ? 後ろや過去の足跡ばかり見ていると不思議と時間は経つものです。一年前も、三年前も、五年前も、自分はこんなところを見てたのかと時間は停まったままに横滑り。 えー。あなたは十五年も過去の恨みとにらめっこですか。もう、そのにらめっこやめませんか。 ほんとうに・・
                              恨みの浦島太郎さん!

注: アダルト・チルドレン(AC)とは育てられた家庭で親から心理的、肉体的に傷を与えら
  れ、それが心の傷になっている大人をさす言葉です。本来、欧米ではアルコール依存症の親
  に育てられた子供たちにつけられた言葉だったのですが、日本では親に愛されなかった大人
  たちと広義の意味に解釈されているようです。子供のときの親からの虐待は人間の心身の成
  長に大きな傷跡を残すのはまぎれもなく事実です。しかし、カウンセリングの現場では最 
  近、どこの家庭にもありそうな親子関係のすれ違いを拡大して考えて、自分自身を不幸だと
  訴える自称アダルト・チルドレンという人達が増えているように思われます。このような言
  葉の持つ意味は、これから育児にたずさわるものには自戒や教訓になりますが、自分自身の
  心の不安定さを持っている人には、自分の努力不足を反省しないですむ安全地帯に、なりや
  しないかという疑問を感じます。

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