カウンセラーを超えるもの | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■カウンセラーを超えるもの
1999年5月19日
 アロマセラピーやカラーセラピーが、若者の間で流行している。なぜか?
それは受け入れやすい。「こんな気分の時はこんな香りをかいでごらん、とっともリラックスするから」「本当だ」「自分が元気のない時は、こんな色の服を着てみたら元気がでるよ」「本当にそうだね」こんなライトな感覚がある。「お部屋にこんな香りや色彩を取り入れることで、生活にうるおいがでてくる」という会話はとってもスムーズに若者の生活に浸透してゆくのです。そして、「どうしてそんな事を知っているの?もっと詳しく教えて。それって何?」という質問があって、「アロマセラピーというのよ」とか「カラーセラピーというの。これは色彩心理学というものがあって…」このように「生活にいかせる」がまずあって、そのあとに「学問的な背景」や「セラピー」がでてくるのです。
 
 さて私の仕事は心理カウンセラーです。これはなかなか理解されにくい。
心理=真理=オウム=カルト宗教=マインドコントロールという図式で不安がられたり。もしくはノイローゼ=暗い=特殊な職業=心理学=アカデミック=難しいと敬遠されたりと一般の人々に対しては、すっと理解されにくい壁があるのです。それが、カウンセリングや心理学が持っているイメージなのでしょう。

 この感覚は私にも理解できます。なぜならカウンセリングや心理学の勉強会ではよくフロイトの功績だの、ノイローゼの意味というような人間の病的な側面の勉強であった心の暗い部分が大半をしめるからです。これなら一般の人々が特別な勉強という目で見たり、自分たちの生活に関連がないと思ってもしょうがないのかもしれません。カラッとした明るさがないのです。
 それは私もカウンセラーの学会に参加するたびに、ある種の場違いさを感じていましたからよく分かります。それはカウンセラーと呼ばれる集団の持つ雰囲気です。
 誤解を恐れずに言うと、一部のカウンセラーの人達は他人の問題を深刻に考える傾向があり、ある種の異様な情熱を持って関わります。クライエントに対するかかわりが不思議に濃厚で妙なひつこさがあるのです。サラットしていない。
 それはカウンセリングをビジネスでないというメンバーに多いような気がします。そのような方々が言うにはカウンセリングは「お金じゃないの愛なのよ」と平気で言ってしまう。 たしかに愛はカウンセリングにおいて大切であることに間違いないのですが、でも「情」だけでカウンセリングすると、気分がのらなくなるとクライエントから安易に手を引いてしまうことになりかねない。そこにボランティア感覚の恐ろしさがあるのではないでしょうか。
 一生のビジネスと思って精力を傾けている私としては、仕事だからこそ逃げ出すことが
できないのです。それがプロフェッショナルスピリットです。

 カウンセリングをビジネスと堂々と言えない。でも生活するためには仕事として成り立たせねばならない。そのようなジレンマを持ってカウンセラー自身がいるようでは心理カウンセリングが一つの可能性のある仕事として広がっていかないのです。(もちろんそうでないカウンセラーもいることは付け加えておきます)
 
 批判覚悟でさらに言うならば、カウンセラーとクライエント(相談者)はとても近い存在ではないかと思うのです。この両者はとても似ている。暴力団と暴力団担当の刑事が似ているように、カウンセラーとクライエントの両者の距離はとても近いのではないでしょうか。
もちろん似ている部分があるから、相手の心の中に入っていけるのも事実です。
 私はこう考えています。推論の枠はでませんが、人間が生きるうえで、人生の中に欠落感がある時、それを補ったり、その欠落した部分を見ないために一番よいのは、自分が他人の役に立っている。必要とされているという自覚です。人に必要とされているこの感覚を持つ方法として、カウンセラーというのは一番都合が良い職業なのかもしれません。
もちろんすべてのカウンセラーがそうだと言うのではありません。

 私もカウンセラーとして仕事をしています。しかし目指している方向は心の病的な側面のみのカウンセリングではなく、普通の人々がよりハッピーに生きられるためのカウンセリングです。心をより良い方向に変えようとする自己実現型の心理学です。そうですもっとポップ感覚の心理学なのです。 
 私が企業や団体で講演に招待されるのは、決して神経症のカラクリやうつ病などをどう治してゆくかということを求められているのではなく、いかに今の生活の人間関係をよりよく楽しむか、より心をレベルアップするにはどうすれば良いかなど、一般の人々が「聞いて得をした」「見方が変わって明るくなった」といった内容のものです。
 神経症やうつ病のような心の病的側面に焦点をあてたカウンセリングも必要で大切ですが、より人間の明るい部分に、より心豊かに生きる心理学を伝える活動をしてきたのです。それが吉本風(お笑い)心理学、カウンセリングセミナーと多くの人々から賛同して頂けたものだと思います。ですからセミナーを受けた人から「心理学やカウンセリングはおもしろいですね」「生活に役立ちますね」と嬉しいフィードバックがかえってくるのです。

 でもここに心理学やカウンセリングを伝え広げて行くための問題点があるのです。人に誘われて偶然に話を聞いた人も「心理学、カウンセリングというものは勉強してみるとおもしろいですね」では一般の人々に広がらないのです。
 それが心理学、カウンセラーというある種の壁なのです。
「生活の中で、こういう考え方をしてみたら楽しくなるよ」「こんな風に人と接していると自分が好きになれるよ」「これから、このように生き方をチェンジしませんか」「本当にそうよね。そうだったのか」そして「そんな考え方を知りませんでしたよ。それってなんですか?」という「問い」がまずあって「これは心理学、カウンセリング学という学問が背景にあるの…」でなければならない。「生活に役立つ、使える」がまずあって、その後に「学問的背景」がある。「アロマ」や「カラー」の若者社会の浸透はまさにこれなのです。
 また、「アロマセラピー、カラーセラピー」という耳に新しい響きも大切な要素です。そういう意味で、私はカウンセラーという肩書きを卒業する時期かもしれないと考えています。
 私は人を楽しくするプロフェッショナルです。それはコメディアンと違うのは心理学を背景にしているということです。これからは「病的な人々対象のカウンセラー」と「一般の人をより夢輝かせるというカウンセラー」に明確に分けねばならないと考えています。もし、「カウンセラー」=「病的」というイメージがあるのならば新しいネーミングが必要
なのでしょう。
 
 21世紀は「ねえねえ、それって何?」「それは今の生活をよりHappyにするためのお手伝いをする新しい職種なの」「例えばこんな考え方をしてみたら、こんなコミュニケーションしてみたら」「あら、そうよね。本当だ。それって何が背景なの?」があって「うーん、しいて言えば、心理学とかカウンセリング学がバックボーンだけどね」そんな会話が周囲で聞かれる啓蒙運動が大切です。日本メンタルヘルス協会も10年近くなろうとしています。今までに多くの受講者がいます。その人々もカウンセラーとして活躍しています。でもそのメンバーも従来のカウンセラーと同じように見られます。ですから新しいネーミングが必要なのかもしれないと思っています。
 私達はすでに心理学やカウンセリングという枠ではおさまらなくなっているのです。心理学を背景に、幸せを創造する新しい集団への変化、パラダイム・シフトが必要なのです。
 
 今年の秋に考えていることがあります。それは一人芝居です。イメージはムーミン谷でスナフキンがムーミンに話すように「楽しい生き方話」を一人芝居で語るというもの。舞台設定は、焚き火だけです。ただし、舞台で火の使用は消防法の問題があるので、舞台の小道具はランプ一つだけ。「うーん、なんて安上がりな舞台なんだ。ねぇムーミンそうだろ」
 こんなことをやろうなんて考えていると、もうカウンセラーの“枠”なんてのは小さい小さいのです。

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