老賢人のようなやさしい季節 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■老賢人のようなやさしい季節
1999年11月30日
 秋から冬へかけての時期を嫌う人が多い。「俺、この時期すきだなぁ」というと、ある人が「先生は寒い時期に生まれたからじゃないですか」と論理的とも非論理的とも思えるような意見が返ってきた。寒い時期に産まれたからかもしれないが、夏の目まぐるしい激しさのあとに訪れてくる静寂感が、興奮して走っている自分の何かをさとしてくれる気がして、とっても好きなのだ。
 
 子供のころからの猪突猛進、直情型の性格で、行動的なのはいいのだが、何かを忘れて突っ走る。そして、反省して何かに気づく。この気づいたときの快感と反省が今までの自分の成長につながったような気がする。一日でいうと仕事帰りの車の中や夜の静寂の時。季節でいうとやっぱりこの季節かな。そう自分を見つめる“時季”。

 正義を声高に叫んだ後に、自分の正義の危うさに気づく時、痛みと同時に真実に出会う。「子供のためにが、自分のために」「愛することが支配だったり」「善かれと言った言葉が、相手の傷口を開く言葉になっていたり」と、そういう見えない罪を重ねて、人は生きてゆく。だから決して自分が正しいなどとは叫べないし、叫ぶことには危険がともなうのだ。 けれども、夏の激しさのように、がむしゃらになる季節もあって、反省の秋もある。そして、愚かな自分を知って何も語れなくなる沈黙の冬を越えて、それでも歩きださねばと、新しい自分に出会う春が訪れる。だから、人間の成長には心の四季が必要なのだ。

 カウンセラーの仕事は自己反省や自己洞察をうながすことに多くの時間を費やしている。自分自身も「そうだったのか」と気づいたときの驚きと赤恥じ感が、自分を高めるということをよく知っている。
 だからカウンセリングの相談者や講義している時に見る、聴講者の自己反省した瞬間の痛みと喜びを知っているつもりだ。もちろん、その痛みを見るのを恐れて心を閉じる人達も多くいる。でも心の四季を通過しなければ、成長の春には出会えないのだと思う。
 季節を止めることはできないし、止めてはならない。それが自然の摂理なのだから。自分を主張しすぎた夏を越えて、自分を見つめる“時季”はとても必要なのです。

 走り過ぎた我が身に、老人のように、おだやかにさとしてくれる雰囲気がこの季節にはある。この季節が自分の波長と合うのはそのせいかもしれない。だから、木の葉が色づく季節がとても自分は好きです。なに、もうすぐクリスマスって。最近、季節もあわただしい。

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