人間は、考える足である…? | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■人間は、考える足である…?
2001年6月13日
 アリゾナに来て、もう1ヵ月が過ぎました。すごく永く時間が経過したような、数日前だったような未だに不思議な気分です。

 日本は梅雨に入ったとか、こちらにきて未だに「雨さま」にお会いしてません。降ったのは降りましたがセミナーのセッションに入っているときに雨が降ったので一瞬だけでした。

 当然アメリカでは、自分で洗濯をします。ここはジーンズですら外に干していると10数分で乾きます。なにしろDryですから。これはスゴイ!

 でも、日本のジト―ッした暑さに比べるとずっとずーっと過ごしやすいですけどね。
 よく会話のキッカケに天気の話が使われます。会話に詰まったら「木戸に立ちかけせし衣食住」と営業の世界では言われるそうです。「木」気候。「戸」道楽と憶えて趣味ですね。「ニュース」小泉首相がどうした、こうした。ところで小泉首相のポス―ターが売れているって本当ですか?「旅」ハワイに行った、いや俺は熱海がいいね・・・?「知人」あの人最近どうしてる。「家族」ウチのかみさんがね。こう言うんですよ・・「健康」〇〇野菜の持っている不思議なパワーがどうのこうの。「セックス」あのスターは結婚するんだってさぁ。えー!ショック。「仕事」今度こういうこと始めましたよろしく。「衣服」あそこでバーゲンやってるよ。「食」あそこの料理は舌がとろけるぜ。「住所」そこ僕の家のそばですね。

 会話の話はどうでもいいんだ。

 でも、アリゾナで天気が話のキッカケにはならない。Arizona has the same weather all year round. I wonder how they starts their conversations.(アリゾナは1年中、天気が同じだね。どうして会話を始めるのかね。)と冗談とも言えない状態です。いつものように教室に行ったら、いつものあいさつ「グッドモーニング・ミスターエトウ」 僕がIt’s hot isn’t it?(暑いですね)と言うとYou must have turned the heater on by mistake. Turn it off ! (あなたヒーターをオンにしたでしょう。止めてちょうだい)とアメリカ人は朝からこのような会話の軽いジャブから始まる。

 さて、ここの学校では、僕のことを「侍」とか「忍者」と呼んでいるのですと。

 なぜかって? ネクタイおよびスーツで、ずーっと日本で過ごして来たので、アメリカでは日本人をアピールしてやると考えておりました。ですからキャンパスでも食堂でも作務衣やジンベさん、そしてゲタで過ごしています。このあいだユカタで入っていったら、一瞬でかい食堂が静寂。沈黙に耐えかねて「ハーイ!」って満面の笑顔で誰とはとわずに挨拶をしたら口笛、拍手の嵐。

 ヘンなカウンセラーが日本から来たという感じでしょうか。

 かまいやしません、どうせここは異国の地アメリカです。なにより自由が一番! 今、日本メンタルヘルス協会のトップは林先生ですから、ここでは好きなように生きています。

 僕の住む町の沈む夕日は最高にきれいです。こういうときは僕は木や建物に邪魔されずに全体が見たくなって高いところに登りたくなります。がしかし、高い建物がない。土地が広くて安いので建物がすべて平屋です。ビルでも2階どまりかな。フェニックスという中心の街に入ればありますが、この周辺は砂漠に街をたてたようなところです。砂漠というと皆さんは砂だらけを想像するでしょうが、ここは違う。それを感じさせないのは緑が多いからなのでしょう。でも、その緑の景観も膨大な地下水をくみ上げ、これでもかと日夜とわず散水を続けているからなせるワザ。

 ここアメリカにきて一番感じるのは巨大な消費大国だということでしょう。エコロジ―の問題など、どこ吹く風。ほとんどのアメリカ国民が、この大陸の資源は永遠であると信じ切っているかのように自然から多くのものを略奪しています。ここアリゾナでも地盤沈下の問題は深刻です。この消費のすごさは学内での食事の仕方を見てもよくわかります。食べきれないほど皿に盛り、そしてほとんど捨てるという状態。校内の電気は24時間灯ったままです。防犯上の問題を差し引いてもすごい消費エネルギーです。終了した広大なゴルフ場に隅から隅まで電気が点いているような状態を想像してもらえば分かりますが、見た目の美しさはありますが疑問に感じざるを得ません。

 インディアンが数千年も守ってきた自然を、わずか200年で確実に変えてしまったのです。これが世界のリーダー国かと思うと未来なげかわしやです。

 僕達の日本は狭いので自然の変化に敏感です。ここでは広すぎてその変化が見えにくいのですね。だから人は時折全体からものごとを眺めるてみることも大切なのです。高くから全体を見て、地面に這いつくばって世界を感じる。そしてゆっくり歩くことも・・・。

 アリゾナからフラッグスタッフにインディアンに会いに行った時のこと、アウトドアー派からするとヨダレが出るような景色が町を出てからすぐ広がります。盆地の町からハイウェイで山間部へ出かける。

 今そこにもテントを張ってバーベキューでも出来そうな景色です。でも、アメリカは車社会です。みなが、すごいスピ−ドで走り過ぎてゆきます。「昔は、ここでもビジョン クエストする人が多かったの」と運転しながら相棒のスーザンが語った。「自分の真の道を知るために自然の中に身を置いて、自分の守護神が出てくるのを待つのね」

「それは神様ですか?」

「大いなる存在は、いろいろなものを使ってその人に現われるわね。自然の声であったり、動物であったり、夢だったり」

「動物ですか?」

「そう。そういう場合もあるわね。それがわかると、その動物といろんなところで縁ができて、それが守ってくれる。そうすると、その動物にまつわる偶然が起こる」

僕の場合はどんな動物かな?なんて思っていると、スザーンは語りだす「その動物が守り神になるのよ」

「どんな動物が良いのスーザン」

「強いもの。熊やバッファロー、それから狼。それとイーグルね。雷(サンダ―)もすごいのよ。雷にはすごい力があって、それに当たって生きている人は大切な役割があるのよ」

「雷に当って生きている自信が僕にはないなぁ・・・」

「私当ったのよ。」 「えー本当ですか?」

「そう。自宅で執筆してたら、ゴロゴロと鳴ってすごい音って思ったら、ドッカンー!て。パソコン壊れて黒くなってて、でも私は大丈夫だった。何か役割あるのかしらね。はっはっは」明るく笑う。

このサンダ―ウーマンだったら何かをしそうだと思った。 

「今はここいらの山の中では、ドリーム クエストしないのかな」

「衛藤さんしてみます?」 「しようかな・・・」

「でも、この辺で東洋人が徒歩でウロウロしてたら、州立警察のヘリコプターが直ぐに飛んできて保護されるわよ。そしたら、なんて言います?夢のお告げを聞きたくてと言えば、ハイハイと言って釈放されるか、病院行きでしょうね。白人にそんなこと解りはしないんだから、お止めなさい」とまた笑う。

 僕は思った。祈ることすらできなくなったインディアンの悲しさと、どんどん人間の知らない世界が消えてゆく。パイオニア・スピリッツ(冒険の心)を誇ったアメリカンは「未知の世界」が存在して成立した。今や未知の世界は彼らの欲望の前にもはや存在しない。

 僕達に日本人にとっては憧れの大地。心をふるわす景色でも白人には、退屈で短調な道路でしかない。この世界に、まだ隠れ処がたくさんあり、この道が存在しなかった時間に僕は旅立っていた。車の中から飛び去るように過ぎてゆく、この山間部の森にもインデアンが自分のスピリットに出会っていた頃に。

 人は自分の歩幅で歩くことが大切なのだ。そうすることで色んな声が聞こえてくるじゃないのかな。昔、「小林一茶、夢の旅」という旅行企画があったそうだ。ここが小林一茶の生家です。ここは彼が旅立つ前に住んでいた家。彼が病に倒れたところです。その観光はポイントである点を旅して、「点」と「点」を結ぶ「道中」ではバスの中で旅行者は寝ている。彼らは、どこで小林一茶に出会うのだろう。一茶に想像と刺激を与えた大地の響きを聞くのだろう。そして風の色を見るのだろう。そして、旅の途中にある人生の儚さ、小さな生き物達のたくましさを知るのだろう。

 彼が旅した歩幅に彼の創作を刺激した何かが隠れている。旅は「点」ではなく「線」なのだ。それが日本や自然の風情を知ることにつながるのではないのだろうか?

 小学校の遠足で友達の騒ぎとは離れて異次元で窓の外ばかりを追いかけていたあの頃に心は戻って行く。僕は子供のように窓の外を見ていた。

 きっと、僕達は自然の中を歩くことが大切なのです。五感をフルに使って,自分の中に眠るセンサーを信じて。歩くことによって人は、この大地と交信している。そのようにインディアンは考えるとスーザンが語る。歩くことによってこの大地をねぎらっているのだと・・・・

 部屋に戻ってから再び外に出て、僕は久しぶりに裸足で歩いた。文明に慣らされた、この足に砂がとても心地よかった。足が懐かしがっていた、久しぶりに大地と再会できたことを。その足からのメッセージを確認しながら僕は歩いた。そう、この大地から足を通して大地のパワーをもらえるようにと祈りながら。

 以前、家の前で「子犬が車に跳ねられて死んでいる」と息子の空悟が見つけて僕に告げた。二人で土に埋めてあげようと相談して恐る恐るスコップで子犬を袋に入れた。そこからが大変。土がない。街には不思議と子犬を埋めてあげるスペースすらないのだ。家の小さな花壇・街の街路樹では子犬をいざ埋めようとすると存在感がありすぎて狭いのだ。目的も定まらないまま車を車庫から出して車に乗っけて秘密の場所に息子と二人で埋めた。

 この犬君は、大地に戻るのだと息子に語りながら。

 人の「足」と「大地」が交信する場所が失われていく。そう考えると漠然と自分の住む街に閉塞感を感じたことを憶えている。パニック症候群は、まともな神経の持ち主なのかもしれないとその時感じた。だから、足の裏がこのアメリカの広い大地を嬉しがっていた。


 僕は足からインディアンになった・・・・・


 頭でインディアンに近づこうと考えていた自分自身がこっけいだった。司令塔は頭ではなく、足なのだ。だから、車社会で走り抜けて行く、白人には大地の温もりが伝わらない。

 メンタルの兄弟姉妹よ。人生をゆっくり、かみしめ、踏みしめて歩こうではないか。僕達が大地を愛していることをメッセージにのせて・・・・





   何も知らないって言うけど何も見たことないって言うけれど

   何もかもがわかるというの?
               知らないことばかりよ そうでしょう

  あなたが踏むこの大地をよく見てごらんなさい
        岩の木もみんな生きて、心も名前もあるわ

あなたが知らない世界を知ろうとしていないだけ

  見知らぬ心の扉 開けてのぞいてほしいの
         青い月にほえるオオカミと笑うヤマネコの歌を

  あなたにも歌えるかしら
          風の絵の具は何色

       風の絵の具は何色

  森の小道かけぬけて 甘いいちごはいかが
    自然が与えてくれる 愛に身をまかせるの
         みんな友達よ いつでも鳥もカワウソ達も
                  命はすべてかかわりを持つ

丸くて永遠のもの
      あの木の高さ もし切ればわからなくなってしまう
               月とおしゃべりするオオカミの声

あなたには聞こえない
     山の声と一緒に歌を歌って 風の絵の具で絵をかく

そしてはじめて答えがわかる
           風の色は何色か・・・あなたにも



              ディズニーの「ポカホンタス」の歌より

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