旅の途上より。 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと

■旅の途上より。
2002年12月10日





 早くも年末です。
 今年は本当に忙しかった。心が亡ぶと書いて忙しいと読む。そんな忙しさも確かにある。昨年の今頃はアリゾナから日本に帰る準備をしていた。
 この一年は昨年の渡米で、自分の好きなことをしたぶん、請われ求められるがまま仕事に没頭し、新たに出会う人々の場所へと走り続けました。その反面いつも見守ってくれている「ひとりごと」のファンや仲間には期待に応えられなかったように思います。ごめんなさい。

 先月、新潟に講演に訪れた時、主催者の方から「五年前に、東京のお台場のホテルで先生のお話を聞いて、その時から今日の日を企画して楽しみにしていました」との話をお聞きして、僕のほうが講演前に感動していました。その方からも、私は「ひとりごと」のファンです。と言われ、過去に出会った人々の中には「ひとりごと」でつながっている人々もいるのだと再確認させられました。

 前に向かって走ることしか考えない日々の中で、いつも横目で感じている。いつも見守っていてくれる瞳があることを・・・・・。少し申しわけなさを感じながら。
 それでも走ろうとする僕に対して、ずーっと言われてきた言葉がある。
 「いつも忙しいのが好きだものね。衛藤先生は」「そうやなぁ」と自嘲気味に応えるのが精一杯なのだ。言葉の裏に隠された消えた言葉の意味を知りすぎているから、それ以上には応えられないのだ。
 止まることができない僕は、よけいに相手にガッカリさせ裏切る気がするから・・・・“ごめんなさい”の代わりにそんな会話になってしまう。

 それでもいつか、そういう人にも喜んでもらえると信じて走っている。

 でもたどり着いたゴールが、その人からは見えない場所であるかもしれないと不安はいつもそばで手を引っ張る。何を求めて生き急ぐのか・・・・
 行き着く先が見えないから、早く楽園の端でも見たいと、やっぱり僕は走ってしまう。いつまで、この心の旅はつづくのか・・・・・・

 だから、「ひとりごと」は、こちらの旅の動向を伝える唯一の手紙なのですよね。それを感じているからこそ「ひとりごと」を投稿することが、気分的に重くのしかかるのも事実なのですが・・・・

 ネズミとゾウは時間の流れが違うそうです。心拍数と新陳代謝の早いネズミと、すべてがゆっくり動くゾウでは、同じ一時間であっても長さが違うのだそうです。当然、寿命にも違いがでる。このままでは僕は早死にだな・・・・・

 「衛藤先生は疲れることはないのですか?」日々の移動距離やテンションの高さからすると当然に問われる疑問のようです。

 そこで最近気づいたことがありました。事務所に行って、200冊の本にサインするのは疲れるということ。でも、同じ200冊の本にサインするにも、講演後に参加者を前にしてサインするのは疲れないということ。そこには喜んでくれる人の顔があるから。

 日々、壁に向かって2時間話すのであれば、僕が講演をあきるのに3日もあれば充分だろう。でも、どこに行っても、そこには人々の顔がある。カウンセリングで人に出会うことも、各地の教室に向かうことも出会うのは生きている人々だから。与えるのではなく、もらっているのだ、生きている意味を。

 「物」は与えると無くなるが、「心」は満たされてゆくと思う。最近ある人が「何かを人にしてあげたり、自分が見つけた楽しいことを教えるのは損だ」と言った。それに対して僕は積極的には反論はしなかったが、その人はとても寂しそうだった。

 アメリカで出会った先生は、教えることが楽しいと言った。どうしてそんなに楽しいのかという質問に対して彼は「僕は長生きがしたいのだ、でも、それは肉体の長生きではない。ステキな話は誰かの心に残る。それを、その時、聞いた人が年老いて孫に伝えているとする。その時その瞬間に、僕はその中に存在するのさ。ステキなことだろう」と。

 そう、永遠の魂は存在する。それは肉体ではなく、人の心に・・・物質的な財産と失われない財産。それを僕もたくさん残したくて、僕は今日も走っている。

 インディアンの老人が、小さな子供たちを前にして、話す自然界のストーリーも、自然の中で育つ子供達が、自然を思うたびに、自分を感じてくれると信じるからだ。彼らは次の世代の中で永遠に生き続けることを夢見て語るのだ。「教え」「伝える」ことの原点はそういうことかもしれない。
 だから、インディアンの老人は「やさしい言葉」を選びなさいという。

 私たち日本にも、「言霊(ことだま)」というステキな言葉がある。「ステキな言葉には神が宿る」という。聖書には「外から口に入るものは人を汚さない、口から出るものが時に、人を汚す」のだと。

 人間の脳細胞は140億個ある。そこに光が走ると記憶がよみがえるという。それはまるで夜空に光る星座に似ているという。僕たちは誰かの心に、どのような星座を残すのか。その人のことを思い出す時にステキに輝く思いでという星座。今日は誰が誰の中で星座として輝くのだろう。僕も美しい星座になりたい。

 とっても我がままで、贅沢な旅を、僕はまだ降りるわけにはいかない。
 けれども、それをたくさん抱えて、帰る場所もあってほしいと思っているのだ。子供が母の所にたくさんのお土産を抱えて帰るように・・・・・

 とっても静かなこんな夜は、死んだ母を思って、そんなことを夢見てしまう。今でも「甘えたなノブ君」はお土産探しが止められない。

 それぞれの、お土産探しにエールを送りたい。

   今日、あなたは誰かの心にどんな星座を残しましたか。





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