愛逢いランド! | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■愛逢いランド!
2005年9月21日






 メンタルのアイランドが終わった。今回は中秋の名月と重なり、とても幻想的なツアーになった。

 この島には友人や家族と来たこともあったが、場所は同じなのに、メンタルの仲間と来ると、また違った雰囲気が島を支配する。それは、終わらない祭り。閉まらない夜店のにぎわい・・・・・

 早く、自分のロッジに帰り、寝床に身体を沈ませる。もちろん、窓を開けてだ。砂浜に面したテラスやら、広場、炊飯場の明かりの下で、人が集って語りあっている。歌を歌っている仲間もいる。砂浜で身の上話をする人もいる。それぞれの場所から仲間の声がする。

 今ここは、メンタルの「やさしい仲間だけ」という安心できる場所。夢の世界。そんな、優しいにぎやかさの中で、眠りに落ちる一年に一度の僕の楽しみ。

 昔、スタッフから、どうしてアイランド・ツアーをするのかを問われたことがある。ビジネス的にはお金にならないし、ワークショップの準備でスタッフは大変だし・・・・なにより、それでなくても忙しすぎる講師を集結させ、収益がないのに、なんでやる必要があるのか?

 組織の存在価値は利益追求だけではない。メンタルの講座すべても、修了式も、アイランド・ツアーも、「メンタルはすごい」「メンタルはハズレがない」「メンタルのどんな企画も感動する」そう言われてこそのメンタルだと思う。

 それが、メンタルブランドだ。そのブランドがあるからこそ、口コミの強さで、メンタルのセミナーはキャンセル待ちが続出するのだ。

 今の多くの組織に失われているもの。それは、自分のプライドをかけた、ブランド作りだと思う。利益の追求よりも、人をうならせて、感動させたい。それがプライドなのだと思う。いかに注目を集めるか、集客するかに走っていて、人を感動させる内容作りにエネルギーを注がない。だから、一時的な宣伝で客が来ても、後が続かず、継続していくのが難しくなる。

 自分が感動しないもの、納得しないものを人には薦められない。それは、自分の気分を枯渇させるだけ。

 僕は子供の頃、親の離婚などで、転校続きだった。だから、親しくなってもすぐに転校が待っている。でも、ある時、ある日、忘れられない思い出がある。前の学校の友人と、今の学校の友人、また、その前の前の学校の友人が、僕の家にたくさん集まり、勉強の情報を交換したり、遊んだりして、一日だけだったけど、夢のような忘れられない日があった。

 いつも、両親が不仲で寂しいだけの家に、二階や、一階の窓から、友達の姿が見える。友人のためにジュースを買って帰ってきた僕の目には、その友達の笑顔がとても輝いていて、楽しそうだった。まるで、そこに幸せが戻ってきたような・・・そんな日のこと。僕は今でも忘れられない。僕の「原風景」・・・・

 大人になったある日。僕は、人がワイワイ楽しんで笑いあっているようなパーティの宴会場の隅で、「死にたいなぁ」と言ったら、仲間からブーイングされた。「ノブ、考えてみろよ。その後のパーティの会場を・・・俺達は、笑えないぜ」と身勝手な夢。とにかく、僕は淋しがり屋。だから、講座をしている時、仲間たちといる時が一番に充電されている。

 仕事で充電されるなんて、理想的な仕事でしょ。

 僕は、ステキな仲間同士を出会わせたいのだと思う。僕にとって生徒のすべてがステキな友人で、だから、ステキな友達と、遠いステキな友達を会わせたくて、全国から生徒に声をかけて、アイランド・ツアーを企画するのだと思う。普段、出逢うはずもない人々が出逢う。そして、それがキッカケで友情がはじまる。とてもステキな役割だと思う。

 企業を起こす人も、利益が最初にありきではなく、「仲間と手を取り合って、幸せになりたい!」というのが組織の原点だと思う。だから、職場とは、一人では弱い人々が、力を分け合い、幸せに生きてゆくための「村づくり」が原点なのだと思っている。そして、そんな職場で僕も働きたかったし、自分のスタッフも「メンタル村」として集めてきたつもりだ。

 僕の尊敬している企業の代表も、それが心の底にある人々ばかりだ。利益のための、「社員は将棋の駒だ」と言い切るトップはやがて落ちぶれる。

 アイランド・ツアーは、僕やスタッフが関係するステキな友達たちが出逢う場所。それまでは、電話で話しをするだけだったり、ステキな評判を聞いただけであったのが、これを機会に、初めて顔を合わせたりする。「はじめまして」であり、「お久しぶり」と言う感じ。メンタル村の親戚が、笑顔で出逢う瞬間なのだ。
 こんな時が、僕たちスタッフや仲間が日々を忙しく走っていることに意味を与える。

 僕のいくつかの原風景に、いつも「主題」としてあること・・・・・

 幼い時には、ミニチュアのセットのように、おもちゃで想像の街を、部屋いっぱいに作っていた。そこは幸せの町。安心できる町。その町を、寝転び眺めながらお昼寝をする。子供の時の一番好きな遊び・・・いつしか、夢の中で、僕は幸せな町の住人になる。

 今年のアイランドでも、それを感じた。

 入り江に囲まれた海に月が映る。周囲を小高い山におおわれたロッジ群がまるで村のよう。中央の広場から見ると、各ロッジからもれるオレンジ色の灯りが、優しい家族の灯りに感じて、やさしい村みたい。そして、争いも怒りもなく、この間まで知らない仲間同士が、村の住民となって笑っている。とっても安心できる夜。

 ヘンな話だが、僕は幼い日、穴を掘ってアリを飼った。近所の空き地なので、飼ったとは言えないが・・・・・・蜜を入れて、小さなおもちゃで広場を作り、穴の中が、暗くならないように電球を入れて。おそらくアリには、とっても迷惑だっただろう。でも、土をかぶせた、ふたの板を開けるたびに、アリが、そこの世界で楽しんでいるように錯覚をしていた。きっと、僕のアニミズムで勝手な思い込みが先行していたのでしょう。

 ずーっと探しているのかな。どこかにある桃源郷。オアシス願望・・・・・僕の夢の世界。その小さな世界の原型がアイランド・ツアーなのかもしれない。

 二泊三日だけの夢のミニアチュールの村づくり。いつか、この「愛ランド」のように笑いあえる社会へ。いや、世界へ・・・

 三十五歳で亡くなった正岡子規は病床の中で、こう言っている。「絵の具と、ある絵の具を混ぜ合わせて、草花を画く、それでも、思うような色がでない、だから、他の色を加える・・・・・神様も世界を作るときには、こんなに楽しんで居られたのであろうか」と。

 自分のフィールドで、やさしい世界を創りたい。それぞれが、違う他人と、どうやって笑いあうか・・・そこには緊張もあり、苦しみもあり、孤独もある。その先に、あるものは笑いあう世界でありたい。

 僕の「原風景」に色濃く刻印されたものを思い出させるアイランド。

 ステキな村づくり、そんな世界を作るための第一歩は、今日も笑顔の仲間づくりなんだ。メンタル仲間は、いざ走らん!








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