OH!セルフ マインド・コントロール | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■OH!セルフ マインド・コントロール
2005年10月18日



 カレン・ホーナイは「自分を好きにならないと、他人を好きになれない」と言いました。自分が完璧を求めると、自分の中にある不完全さを嫌う。そんな人は、自分だけではなく、周囲にも完璧を求める。だから、妻や夫、恋人や子供、または、部下の不完全さには耐えられない。

 「積極的な自分になろうと目指す人」は、「自分の消極的な性格」を嫌う。

 完璧な人ほど、自分にはダメな部分がないように生きている。だからこそ、身近な人の引っ込み思案な態度や弱気な行動には、イライラしてしまう。他人の弱さは自分が一番見たくない自分の中にある弱さを思い出させるから。それは見たくない影の自分だからでもあるのです。人には強気もあり、弱気もある。前向きな時も、後ろ向きな時もあり、自分を明るい性格だと思う日もあれば、暗い性格と感じるときもある。自分のことを世界一やさしいと思う時もあれば、自分の冷たさに驚くこともある。

 自分を知るということは、自分のいろいろな側面を受け入れるということです。完璧でない自分を受け入れた時、他人の不完全さにも寛容になれるのです。真の「やさしさ」と「強さ」とは、そういうものです。

 「清濁併せ呑む」・・・・・自分の良い側面ばかりを見て生きている人は、ある環境や状況に追いやられた時、自分の影(シャドー)を見て、自分を疑い、もろくも崩れます。

 真面目で立派な人物がノイローゼになり、狂いやすいのは、自分の影を受け入れる免疫ができていないからです。自分の弱さも受け入れ、時には自分の影(マイナスな側面)を直視して生きている人は、自分の弱さを知っています。自分を洞察するという事は厳しいことなのです。

 インディアンの人々は、「自然を愛するということは、晴れの日も、雨の日も、嵐の日も愛するということだ」と言います。自分の晴れの日だけ愛する人は、嵐のような、うまくいかない出来事を嫌います。それは、自分の完璧な理想の人生しか愛せない人です。そのような人は、身近な人の、嵐の日(失敗や挫折)には、冷たく叱咤します。嵐の日を知っている人は、他人の苦しみに対して寛容です。

 ある講座の後に、「先生は、自分を好きにならないと、人を好きになれないと言うけれど、どうすれば、自分を好きになれるのですか?自分を好きになる方法を教えてください」と尋ねられました。僕は「あなたは、自分のどういうところが好きではないのですか?」と聞き返しました。

 「人は自分に満足しないで、自分をよりよく高めることが大切だと思いますが・・・」と、その人は言う。講演会終了後のあわただしい中、ゆっくり話はできなかったが、その人の言わんとすることはよくわかる。

 「自分をより高める」「もっと理想へと近づきたい」「自分らしく生きたい」多くの人が語るセリフ。でも、これらのセリフが出てくるのは今の自分に満足できていない人に多い。

 今の自分ではダメ。もっと、スゴクならなくては周囲から認められない。だからこそ、自分を追い立てている。成功を求める精神は、自己啓発セミナーや宗教や誰かと出会うための、集まりに出かけねばならないと自己を追い立てる。そして、“スゴイ”といわれている人に出会うと、憧れ、近づこうとする。 さらに、他人と比較して自分への足らなさを感じて、劣等感を抱える。自分に自信のない人を、誘惑するのは簡単だ。そのような自信のなさは勧誘する人のかっこうのターゲットになります。マインド・コントロールする側にとって一番つけ入りやすいのは、「今の自分ではいけない」と思っている劣等感です。

 「あなたは、もっと成功したいと思いませんか」「あなたは、もっと経済的に恵まれたいと思いませんか」「あなたの可能性を最大限に伸ばしていますか」

 何かもっとスゴイ人生。何かもっとステキな生活。何かもっとワクワクする生活。そう言われると今の生活は色あせて感じてしまいます。遠くの成功を見すぎると、近くの幸せが見えない。可能性に満ちた日常も退屈で灰色に感じてしまう。遠くの扉を見すぎて、近くの階段の一歩一歩が見えない。高い目標を意識することによって、ステキな一日を楽しめない。

 人から与えられる幸せのイメージ。マイホームを建てるために、夫婦でローンを抱え共働きする。大きな家で一人留守番する子供達。子供の幸せは家族で話し合える空間と時間があればいいとは、考えてもみない。

 成功!成功と言われ、今日昇る朝日や鳥のさえずりを聞く感動を忘れ、健康で五体満足に動く身体の奇跡を知らないで生きている。今日という特別で帰らぬ日を楽しまず、移り行く季節に目をとめるゆとりもなく生きている。

 「衣食足りて、礼節を知る」人間は食べたり、生活が安定すると人間らしさを取り戻すという。そうなのだろうか・・・・

 現代は食べることも、生きることも、当たり前な生活になっている。日常の何気ない奇跡を感じる余裕を失った日本人は「衣食足りて、礼節を忘れた」ような気がするのです。

 なぜなら、人々は何か目に見えない目標に追われている。だから、普通という自分が嫌いなのです。健康に生きている子供だけでは満足できない。食べられない人々が世界中に存在していても、普通に食べられる日常は、当たり前すぎて、それだけではダメなのです。何かスゴイ刺激がなければ感動できない。刺激はやがて鈍麻する。そして、さらなる刺激がなければ、感じなくなる。これを「刺激鈍麻の法則」と言います。

 今の生活で満足している人のことを「負け犬」と呼び、「堕落」と言うそうです。だから、もっと、もっと、自分にムチをくわえなければいけない・・・・。
 「勝ち組」「成功」「もっとステキな生活」自分にムチを加え、自分に厳しい人達。

 「もっと、もっと・・・・の、その先は・・・」
 今や自殺者は三万人の大台をここ10数年軽く越え、疲れ果ててうつになる人が急増している。自分にかした目に見えない圧力は、競争を激化させ、ねたみを増やし、やがて、自己を崩壊させるか、持って行き場のない怒りや不満を「誰でもいいから傷つけたかった」「むしゃくしゃして・・・」とぶつけ、犯罪を増加させる。
 まるで、走り出した電車が脱線するまで、止まらないように。

 ゆっくり、ゆっくり歩きながら、道ばたの花に意識を留めたいと僕は思う。秋、色が移り変わる山の景色にも感動し、今という時間とゆとりを楽しみたい。小さな当たり前の日常生活に喝采を贈れる人が真の成功者なのだと僕は思う。成功を求めて苦しみ、追われ、眉間にしわを集めるよりも、普通の生活を楽しめる成幸者でいたいと思う。

 アメリカのジョークに、「成功者の自宅の書棚を探してごらん。“成功するための100の方法”という本は置いていない」というのがある。成功するため!成功するためにと、自分を追い込むよりも、笑って人生を楽しみたい。

 だから、日本メンタルヘルス協会の理念の中に、
「あくなき欲望に突き動かされて外の環境を支配することに幸せを求める生き方」ではなく「今の自分自身や、今の生活の中に幸せを発見できる能力の開発を目的としている」という一節があります。

 「普通」や「凡人」は、「負け犬」でも「堕落」でもなく、自分の人生の階段を一歩踏みしめることを楽しめること。だってその普通の日が、未来につながる大切なステップなのですから。

 その普段のなにげない一歩を踏みしめないで、基礎の弱い階段の先に広がる理想や未来なんて、空虚な幸せのような気がしてなりません。

 だから、「今の自分を嫌ってはいけない」のです。








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