自分を好きになるPartI | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■自分を好きになるPartI
2006年1月10日





 新年明けて、色とりどりの趣向を凝らした年賀状が届けられる。

 今年も誰よりも負けない笑顔でとか、今年は、もっと心理学を究めたいと思いますと、今年の抱負を宣言したメールが届く。「そうですね」と心の中でささやく。

 その中で、私はもっと自分を好きになりたい。どうしたら・・・・と途切れた気になる年賀が一枚。新しい年を迎えて、最初の問いかけ?無記名の年賀状・・・・

 僕たちのカウンセリング・ルームには、「自分が好きでない」という相談者は多い。「今のままではいけない」「もっと、輝いた自分に」「誰からも愛される人に」「自分が夢中になれる何かがほしい」そのほとんどは、過去に、誰かに言われたか、聞かされた理想のイメージと、そのイメージからかけ離れた現実の自分とのギャップで苦しんでいる。

 このような人は、今の自分を嫌うところからスタートしています。何でもそうですが、イヤだと思いはじめると、たとえ好きな人でも、職場でも、悪いところしか見えなくなり、心は逃げ腰になる。今の状態を変えたい。変えなければ不幸だという思いを強く持ちはじめる。そのような色眼鏡で見れば、さらに今の生活を楽しめなくなる。

 せっかちな人ほど、仕事を辞めてしまい、さらに条件が悪くなるケースが多い。または、「破壊者」といって意味もなく、すべての人間関係を破壊し、収拾がつかなくなり、今まで生きてきた時間や努力をムダにする。人は時には、思いきったアクションも大切だが、あわてた決断や行動は、何においても禁物である。

 そこでカウンセラーは、相手の夢みごこちな幸せのイメージを、より具体的に、現実に即して検証してゆく作業に入る。

 今のままでは、どういけないのか?輝いた自分とは、どういう状態か?誰からも愛されることは、なぜステキなのか、すべての人に愛されることは可能か?誰からも愛されるためには、それ以上の苦労がともなわないか?自分が夢中になれるものが見つかれば、退屈に感じる時間は、本当になくなるのか?何がその人を夢中にさせるのか?人は永遠に夢中になることは可能か?覚める時はこないのか、それにも覚めた時には、また、夢中になるものを探し続けるのか?人はその中で生きているのではないか?
 などを相談者と一緒に話し合ってゆく。

 どうすれば、自分を好きになれるのか?という質問も同じなのです。「あなたは、どうすれば自分を好きになれるのか」ということを、本人自身に問いかけていくことになるのです。

 自分を尊敬できたり、自分を好きになる。それを自尊心というのですが、「こういう人間でなければ自分はダメ人間である。」だから、「こうなりたい」という考えは、そもそも自分を嫌っているのです。

 自分を嫌っている人は、自分を好きになれるはずがない。

 自分を好きになれない人は、目標が高すぎる場合がある。それは、過去に親や周囲から高い目標を押し付けられ、それに応えようとして自分で自分を苦しめているケースがあります。

 これらはGrandiose mission.(誇大な使命感)やGrandiose self image.(誇大な自己イメージ)と言います。自分がスゴイと言われないと、自分に存在価値がないと思っている状態です。

 自分自身に価値がないと思っている人ほど、自分の持ち物、住む場所、年収、社会的地位を、より高く求めます。周囲からうらやましがられることで自分に価値を感じるのです。人にどう見られるかが人生の目標になります。そのような人は、素直に人をほめられません。

 「人生は戦いだ」と信じているから、他人が幸せになったり、成功することを素直に認められない。そして、人生はすべて競争だと考えているので、誰かを認めることは、自分の敗北に結びつきます。その結果、自分が勝利者になるために、誰からも認められたいと、よりムキになる。このような人は、周囲からは積極的で、エネルギーに満ち、自信家に映ります。しかし、一方で心身疾患になりやすく、ちょっとした挫折にも耐えられず、自殺してしまうのも事実です。

 そもそも、誇大な自己イメージのために、自分の人生に失敗や挫折が、存在してはいけないと思っているのです。人間関係でも、自分が思っているように、周囲が動いてくれないと、すぐに不機嫌になる。周囲との関係によって自分の気分が左右され、化学反応のように、すぐに過敏に反応してしまう。

 だから、仕事も続かない。あの上司が無能だから。会社の体質に問題があるから。こんな仕事はレベルが低いから。こんな仕事場では、やることがないから。

 このように自分の人生がうまくいかない理由を周囲のせいにする他罰的な人は、自分の人生にストレスなど存在してはいけない。困難など、苦しみなど、孤独など、あるべきではないと信じている。心理的にストレスに対して耐性が養われていない。病気にもウイルスに対して耐性があるように、心にも耐性がある。

 講演会でも話していることだが、本当の人間的な強さ、心理的なタフさとは、凡人中の凡人として生きる強さだと思う。何気ない日常生活の中に楽しみを見つけ、変わらない仕事に生きがいを発見する能力。慣れ親しんだ人間関係の中に新たな感動を見つけたり、小さな日常の変化に生きる希望を見つける能力を養うことだ。

 ストレスに耐えないと、この心理的な耐性能力は磨かれない。人間関係で誤解されたり、嫌われることもある。孤独をかみしめたり、苦しい別れも残念だが存在する。上司に恵まれずに、忍従に耐える時期もあるだろう。でも、その時にも、「こんなはずではなかった」と思うより、誰でも「こんな時はあるさ」と耐え忍ぶ能力を鍛えることだと思う。

 「こんな年齢にもなって」とか「普通・・・」というような、常識というリミッターをはずし、自分の人生を味わう人に、心の病気は忍びよれない。

 たき火で、暖をとるためには、煙にあたることを覚悟しなければならないし、煙に当たりたくなければ、暖はとれない。自分は何のストレスもなく、楽しみたいというのは、子供っぽい甘えの感情なのだと思う。人生には冬もあれば、春もある。春だけを求めるのは、忍耐がない。人は冬に鍛えられる。

 そして自分の最高のパートーナーは、恋人でも、配偶者でもない。自分といつも共に居て、いつもつき合っている自分自身である。その自分が自分のダメさを嫌っているのは、いつも鬼コーチと共にいる選手のよう。いつ、どんな状態でも休むことは許されない過酷なレースだ。人生をマラソンにたとえるなら、道の途中の春の菜の花も見ることもない、こんな苦しい人生が楽しいだろうか。そんな自分に対する鬼コーチは休んでいただこう。

 そのためには、自分で自分をサポートすることです。自分のサポートが、ないから他人からどう思われるかが重要課題になる。では、どうすれば、自分で自分をサポートできるのでしょうか?それは次回のひとり言にゆずりましょう。

 なぜかって、よく「先生のひとりごとは、長いひとりごとですよね」会社で読んでいたら大変なのです。休み時間が終わってしまいます。「そうか・・・・そういう意味では、今年の衛藤の抱負は授業も、ひとりごとも、シンプルに」ってことにしておきましょう。

 そうです、今回のテーマは、人の評価に惑わせられないで、自分らしく生きるという内容の後に、生徒の意見に惑わされている僕がいます。でも、生徒の評価は、衛藤にとって気になるのです。そうですよ、今年もダブルバインド(言う事とやる事が違っていること)です・・・・・この矛盾があるから人間なのです。ね、ね、ねぇ〜。ムリに意味なく、誰かに同意を求めるところが、すでに今回のひとりごとの内容に矛盾を作っている・・・・まぁ、今年もこんな感じでスタートですね。

 本年も、このひとりごとも、衛藤も、よろしくお付き合いください・・・・







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