心理学を蹴飛ばせ! | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■心理学を蹴飛ばせ!
2006年4月18日





 光が強まれば、影は濃くなる。冬のあとに来る春は、より暖かさを感じる。病気があるから、健康の素晴らしさを実感する。満開の桜の花に人が心惹かれるのは、散りぎわが潔いから。孤独を知っているから、人の優しさが身にしみる。

 「人生のコントラスト」の美しさ!

 順風満帆で何の悩みもなく、障害もなく、到達するゴールが感動的か・・・今年のWBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)は誤審騒ぎに日本国民が怒り、韓国に惨敗し、前日、ミッキーマウスと遊んでいたメキシコがアメリカに勝ち、九死に一生のところで、日本が復活し、優勝した。これがドラマ性を盛り上げた。知らない間にスムーズに優勝していたのなら、野球に興味がある人は別として、日本人のほとんどが「日本が優勝したんだって」「へー。良かったね」で終わっていたのだろう。

 人生もそうだと思う。先が見えないから、生きることに深みが与えられる。もし、先が見えれば安心かもしれないが、そのうちに退屈してアクビを噛み殺すようになる。

 今の時代は、交通機関の発達によって、泊まりの仕事も日帰りできるようになり、書店で偶然出会えた本は、今は事前に検索サイトで“瞬時”に“ピンポイント”で情報が得られる。写真のフイルムを現像する時間も、どんどん短縮され、必要ならばデジカメで瞬時に画像を見ることができる。

 人生の成否も、占いや、守護霊に、何が一番足らないのか、どうすれば善いのか尋ねればよい。それくらいに誰かに頼らないと、不安でいられない。現代は、人生の不透明さや時期を待つことに耐えられない。そして誰かに依存的なのです。そのような占いや守護霊について冷静さを持ちながら、楽しむことは面白いが、頼り切ってしまうことには、賛成できません。何度もこの「ひとりごと」で言ってきましたが、生きることの楽しさは、コントラストです。幸せと苦しさの狭間に生きるからこそ、楽しさがあるのです。

 僕が講座で教える心理学も、両刃の剣の危険性があります。心理学や自己啓発は人間関係の問題を解決もできますが、問題を複雑にすることもあります。

 たとえるなら、子育ては、子供の「意見も聞いて」「自由を奪うな」「ふれあいを持って」「存在を否定してはいけない」など、模範的と言われているものがあります。でも、それを逆手にとって、自分は“親の為”で人生が狂って、うまく仕事ができないし、うまく人を愛せないと言われると、「あのね。君さ〜」と素直に認めたくない僕がある。自分が子育てをする時に、「自分のエゴイスティックな生き方を押し付けないようにできたらなぁ」くらいに感じてくれれば良いのだが・・・・自分のことに焦点を当てないで、自分以外の人に責任を求める、それでOKというお墨付きをもらったように錯覚する人がいます。

 今の自分の努力を棚に上げて、親のせい、先祖のせい、生まれた運命のせいだと言われてしまうと、「そうじゃないだろう!」と心で叫びそうになる・・・・なにより「未来的」ではなく、古典心理学の弊害である「過去への分析」「トラウマ」にすべての責任を押し付けている。僕達は過去の奴隷ではないはずだ。

 メンタルの受講生に対しては、講座のあらゆる場面で、それを戒めているので、そのような人は少ないのですが、どこかでセミナーを受けたり、本を読んだりしている人には多く見られます。そして、メンタルの講師陣の講演会を一回受けた人にも多いのは事実です。それには、講師として責任を感じています。講演会という短い時間で、そのような誤解を解くにはムリがあるのです。だから、講演会ではなく、講座を受講しに来て下さいと言うのですが、スピードが命と言われる現代社会では、すべてを単純にとらえ、理解した気になるところで満足してしまう人が多いのです。

 それに、講演を聞いた後に、聴いた人が自分自身を責めてしまうのも残念なことです。「ポジティブ(前向きに)に考えよう」と言われると、ポジティブに考えられない自分を責める人がいる。

 僕は講演で、自分のこれからを考える材料にしてもらいたいのに、自分の今までの過去を責める人がいる。それがネガティブ(後ろ向き)だと思うのです。なぜなら、それは、未来に向いているのではく、過去に向いているからです。過去を責めても落ち込むだけです。過去は未来の教訓にはなりますが、責めだすと、自分にも他人にも負の回転を始めます。

 誰でも前向きになれない時が必ず訪れます。人生につまずき、生きるエネルギーが落ちて前向きになれない時に、「こんなに前向きになれない自分も、そうお目にかかることもない。こういう時は、後ろ向きな自分を見つめよう」それが、トータルしてポジティブ(楽観主義)な考え方なのです。

 不登校で、学校に行けない時は、「学校に行かねばならない(常識)」、でも「行けない(現実)」に苦しみます。これが葛藤(心の対立)です。このように、心をすり減らしながら心のエネルギーを使い(葛藤する)、学校に行かないのは、僕は一番よくないと思います。そんな時僕は、2ヶ月間でもいいから、学校のことは何も考えないで、好きなことをして、遊ぶ、休む、旅に出る、ことを薦めます。それが良い結果につながることが多いからです。仕事だって同じです。悩みながら休むより、開き直って休んだほうが心には良い結果をもたらします。そう、積極的にサボるのです。

 チョーサーという人が、「恋は盲目」と言いましたが、盲目なら盲目の自分を楽しんだほうが、心に良いと思うのです。その恋に意味がないならすぐに止めればいい。でも、今は、止められないなら。盲目の恋を続ける自分を観察する自由もあるのです。理性と力で「人間のこころ」をコントロールできるなら、涙・なみだの演歌は巷には流れないし、大衆も口ずさまない。

 こんなことを言うと、それでは、人のモラルとか、成長とかは、どうなるのですか?と指摘されそうですが、理想どおりに精神力で、モラルとやらでうまく生きられるならば、それで生きればいい。でも、人間の人生は、順風満帆に進むとは限らない。その人生の“嵐の時”に「前向きさ」、「努力」だけを信じて、船出すると難破することもあります。その時は、嵐が過ぎるのを、停滞と言われようが、弱腰と言われようが、「理想」だの、「自己成長」なんか蹴飛ばして、試合場から潔く降りるほうがいい、と僕は思います。

 よく受講生から、先生に学んでいるのに「感情的に叱ってしまって」、「素直になれなくて」と、相談されることがあります。思わず「ハイ。僕もです」と言いそうになります。当たり前ですよ。理想どおりことが運べば、人生はそこでアクビを押し殺すくらい退屈なものに変わってしまいます。これからの目標を失ってしまいます。

 僕は、そのような受講生に、今まであなたは子供や、部下が、傷つくことを平気で言っていたのでしょ。それが、今では、言った後に後悔している人に変わったのですから、その分、あなたは成長したことではないですか?

 自分に完璧を求める人ほど、相手にも完璧を求めると言われます。自分の小さな変化を楽しめない人は、相手の小さな変化では苛立ちを感じるものです。これが完璧主義です。

 心理学は両刃の剣なのです。その「怖さ」と「有効性」を知る人は、自分も、人も責めません。中途半端な勉強はやはり、自分や周囲を追い込むだけです。そんな時は、「心理学なんか蹴飛ばせ!」です。
 知ったか顔の「心理学、裁き人さん」や「自己成長、頑張り屋さん」は人に攻撃的です。

 本当に人の心をわかっている人は、穏やかです。「裁き人さん」、「頑張り屋さん」は、心の世界を簡単にわかった気にならないで、いろんな角度で自分や他人を見ることです。心理学は自分や人を裁くための道具ではありません。自分自身のこれからの言動、態度を一呼吸置いてから考えられるようになるための練習なのです。

 「少しの理解は、人を大騒ぎさせ、深い理解は、人の心に安心と静けさをもたらす」と、僕は思います。本を読んで、人を裁き、一人で落ち込み、有頂天になっている人は、しっかりと落ちついて自分を見つめることです。チャンスがあれば、メンタルに参加して、僕たちの仲間と人の心を深く学びませんか?「自分を知る」ことは、とても静かで、味わい深いものなのですから。









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