雨の日は哲学者 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■雨の日は哲学者
2006年6月19日





 「自然を愛することは、晴れの日も、雨の日も、雷の時も同等に愛することだ」とネィティブ・アメリカン(インディアン)は言った。晴れの日しか愛せないのは、自分の都合を望んでいるだけで、自然そのものを受け入れ愛することではないという。

 ならば、人生を愛するということは、うまくいく時も、うまくいかない日々も、同じように楽しみ、受け入れるということだ。

 そう、苦しみの中にこそ、人生の教訓は落ちているし、悲しみを乗り越えた時に、何気ない日常がありがたいと感じるというもの。戦争を経験してきた人生の先輩は、あたりまえな平和な社会をありがたいと語る・・・・・・。

 最近、梅雨に入り雨が多い。ならば、雨模様の空を見てイライラしないよう、この季節をいかに楽しむかが、自然を、人生を味わうということになる。人には、それぞれ雨の日には、雨の日の過ごし方がある。読書だったり、友人とのおしゃべりだったり、パズルや音楽に穏やかに包まれるのもいい。

 心理学的には“掃除”もおすすめだ。

 心が落ち着きを失うと、それに比例して部屋は散らかりはじめ、生活全般が乱れてくる。服装や髪形に気を遣わなくなったり、生活のスケジュール管理も乱雑になります。

 心(内の世界)は、現象(外の世界)と連動していると言ったのはC.G.ユングだ。現実に起ることは、自分を見つめるいいキッカケになる。病気だったり、忘れ物だったり、別れだったり、出会いだったり、偶然に起ることを見過ごすと人生のチャンスを失う。

 だから、内なる心のトラブルを落ち着かせるには、外の世界に出ている、自分の行動をチェックした方がよい場合があります。前向きな言動、態度、笑顔、姿勢、身なり、部屋は乱雑になっていないかなど。

 心を明るくしたければ、明るくなれない理由をあれこれと考えてもうまくいかない。だから、逆に外の世界から整理するほうがうまくいくことがあります。

 たとえば、姿勢を正す。大きな声で笑う。ため息をつかない。後ろ向きな時にも前向きな話をする。机の周りを整理しはじめると心がリセットされる。身の周りの変化は、現実の世界を変化させる。

 行動を変えると、心が連動して変わることを「行動療法」といいます。

 だから、掃除は簡単に心を落ち着かせる。心に余裕がないから掃除ができないと言う人もいるが、掃除をするから心にゆとりが出てくるのです。あるいは、「掃除をしようという前向きな気分になれない」と言う人もいますが、そう思うのは完璧な掃除を目指すからです。目の前のペンを鉛筆立てに置くだけでも少しの変化です。その変化が、生きていることの証拠なのです。

 なぜならば、生きているというのは「整理整頓」だからです。こんなことを言うと、昔の小学校の頃の標語みたいでイヤですが・・・・

 僕たちの身体の中で散乱したものを整理しながら、「命」は生きています。

 難しい話になりますが、宇宙創成のビックバンの瞬間から、小さな固まりだった宇宙が、外へと広がりながら地球は生まれました。今でも宇宙は、周囲に分散しながら広がっているのです。これが宇宙の法則です。タバコの煙は一点から周囲に広がってゆきます。煙が勝手に一点に集まることはありません。お風呂のお湯も、外の空気へ熱を放出して冷めてゆきます。その散った熱のために、浴室は、 脱衣場よりも温かいのです。割れたコップの破片が、自然に組み合わさって、元のコップになることは自然界にはありません。もちろん、僕たちが接着剤を用い、行動エネルギーを使って修復することは可能ですが、自然の原理ではありません。時間は、すべての物を崩壊にいざないます。

 この世界の永い歴史を、カメラで早回しで見ることができれば、都市も、その中のビルも、すべては崩壊していくことがわかります。諸行無常なのです。

 これを物理学では熱力学の第二法則(エントロピー)といいます。

 すべてのモノは、可能な限り、バラバラな無秩序な状態となって崩壊して広がっていくのです。それが宇宙の法則です。その宇宙の中でこの自然の法則に逆らっているものがあります。それは生命です。

 生命だけは、生きている間は、宇宙の法則に逆らっています。生命は生きていくうえで、いろいろなバラバラなものを(野菜、肉、水、砂糖、醤油、くだもの、空気、コーヒーetc.)外から取り込んでいます。そのバラバラの素材を、細胞や身体という秩序に作り変えます。生きている間は、身体という秩序を作り続けます。

 ありとあらゆる物を食べ、水分を飲んだりしながら細胞にエネルギーを送り続けます。そして、その細胞の集合体が「人間の生きた身体」という構造物を作っています。ですから、「命」だけは、生きている間は、宇宙の法則に従わないで秩序を作り続けるのです。

 子宮の中で、受精卵という一つの細胞から複雑な胎児になり、小さな赤ちゃんから大人へと、より複雑な構造へと人は成長してゆくのです。私たちの身体は、細かい細胞が集まり、手や足、身体や頭、髪、爪など、ありとあらゆるものを作り、それが組み合わさって存在しています。

 お風呂のお湯は冷めていっても、人間は、外から取り込んだエネルギーを熱に変え、36度前後の体温を保ち続けます。決して、お風呂のように自然に冷めるということはありません。

 人は、宇宙の中で生きています。人間も細かく分解すると、宇宙のどこにでもある原子でできています。人間にだけ存在する特別な原子などはありません。人間は宇宙のどこにでも存在している原子でできているにもかかわらず、生きている間は、宇宙の法則に逆らって、秩序を作り続けて生きているのです。そして、新しい世代に命と経験(知恵)をバトンタッチして地球と共に進化しています。地球は他の星々と違って、地球上に生命を存在させるための秩序を保ち続けています。だから、母なる大地なのです。

 僕たちが、ただ皮膚(袋)に入ったお湯ならば、熱は外気温に分散して広がり冷めないといけないのです。もちろん、身体の熱は分散しています。でも、生命はエネルギーを作り続けます。だから、死ぬまで冷めることがありません。これが、同じ分子でも「もの」とは違う「いのち」の不思議さです。

 我が家にはパピヨンという種類の犬がいます。彼女(メス)は我が家に来て二年目です。その間、いつも彼女は、水とドックフードしか食べていません。にもかかわらず、水とドックフードの“かたまり”にはならないのです。彼女は彼女であり続けるのです。これは不思議なことです。水とドッグフードを彼女(犬)に変えてしまうのです。これが生命の神秘です。

 ベジタリアンの人が、野菜ばかり食べたからといって、野菜人間になることはありません。僕達はいろいろな食べ物を取り入れながら、身体という秩序に整理しながら生きているのです。

 生きるとは、身体の中で秩序を作り続けることなのです。私たちは死んだ瞬間から、秩序の崩壊が始まります。当然、体温も維持できなくなり冷めて冷たくなります。身体も崩壊が始まり肉も骨も時間をかけて大地にもどります。ですから、死は、宇宙の法則に帰ることなのです。大地は、その原子を吸収した集合体なのです。だから、母なる大地(地球)は、すべての命を含んでいるのです。インディアンは「大地は、たくさんの命で豊かなのだ」と言います。

 「死」は、バラバラの方向に向かうということです。ですから秩序を維持し整理整頓しつづけることが「生きる」ということになります。

 部屋が散らかるのは自然な宇宙の法則です。

 部屋も人間が「掃除」という行動エネルギーを加えないかぎり散らかります。少しずつ崩壊に向かうのです。
 人が住まない家は、すぐに朽ちて住めなくなります。人が掃除という生命エネルギーを使って、整理し、磨き上げるから、家は秩序を保ち続けるのです。

 だから、部屋が散らかり、乱雑になるのは死の方向に流れが向かうことを意味します。掃除は、秩序を維持し、ホコリを払い、生の方向へと向きを変える原初的な行為なのです。

 だからこそ、多くの宗教の修行に掃除があるのでしょう。昔からの教えに整理整頓があったのも理解できるというもの。

 雨の日に、こんな想像力を働かせると、掃除も崇高な行為に思えてくるから不思議。

 何か生きる実感がわかない時は、複雑に考えないで、まずは掃除をしてはいかがか・・・生きている実感が欲しければ遠くのものを見ないで、身辺の整理から・・・・

 この梅雨の季節、ダラダラ過ごし、より秩序崩壊していく部屋の中でいると、より命が枯れてゆく気分になる。だから、秩序を保つ「掃除」という外の行動を始めると、内宇宙(こころ)も、落ち着いてくるというもの。

 掃除にも、宇宙を感じる。

 この梅雨の季節は、たかだか掃除の中に物理学や生物学、はたまた哲学的なことに思いをはせてしまう。それが雨の季節の不思議さかもしれない。掃除ですら崇高なものに感じてしまうから、この季節は季節でおもしろい。そう思いません?







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