私が私のサポーター | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■私が私のサポーター
2007年3月22日


2007.3.17 ホテル日航大阪にて    




 桜のつぼみがほころぶのと、笑顔がほころぶのは、本当に似ている。緊張していた何かがゆるむ瞬間。ぐっと思い悩んでいたものが晴れる瞬間。人はとても穏やかな顔になる。そんな顔にたくさん出会ってきた。笑顔が開き、心を開くと、自然と体まで開いてリラックスする。「教室で心の勉強している時は、元気!」と受講生が言われる秘密は、心が「開く」からだと思う。いつも、どこに居ても、どんな場面でも、緊張感がなく、いつも微笑んで、気負いがない。そんなステキな人がいる。そのように「開かれた人」は確かにいる。

 いつも、威圧的で、緊張していて、しかめ面の「閉じている人」もいる。話していても開放感がなく、挑戦的で、いつも何かに緊張している。だから、その人と長時間一緒にいたくない。そして、多くの人はその人のもとを去る。

 開かれていると、空気も流れる。閉じていると、呼吸のとおりも悪い。心を開いていないと出会いの流れも悪い。人との出会いを求めるなら、開いた人にならなきゃいけない。

 春だし、心も体も開かないと。でも、心を開くと、人を信じると傷つけられると誰かが言う。だから、人を信じないのだと。それは、今までの出会いであって、これからの未来も、そんな色眼鏡で見ていると、見えるものも見えなくなる。それに何より、傷ついたキズなんて、身体のどこにも付いてはいない。傷ついたと思うことが、より心を傷つける。傷ついたと思う人は、やはり閉じている人だと思う。

 「傷なのだ」ととらえるか、「学びだ」ととらえるかで、人は違ってくるもの。体のキズはカサブタになり、その皮膚はより強くなる。筋肉は激しい運動で、より太い筋肉に生まれ変われる。修復する自信がないなら、しばらくココロの冬眠をすることも必要だけれど、さらに、強くなりたければ、恐れないで人との出会いの海原に立ち向かうしかないと思う。

 もちろん、笑っていても緊張している人もいる。その瞳の中に、攻撃性や不安が隠れている。人は、人を信じ、周囲に友好的でないと、心は開かない。だから、深く呼吸して、胸を開くこと、そして、「相手は敵ではない、安心できる仲間」と、自分に言い聞かすこと。何度も、何度も、お念仏を唱えるように。

 人と居ると、緊張する、とある人は言う。相手にどう思われるか、嫌われやしないか、見透かされやしないか・・・・と不安になるからだ。だから、この念仏は、そんな人に役に立つ。そうすると、こころが開いてゆく。そして顔がほどけて笑顔になる。桜の花のように。

 自分に自信がない人は、自分をサポートする必要がある。僕は自分を応援するのが上手い。今日もよく生きたと・・今日もよく笑ったと・・・

 仕事ができなくても、誰かにほめられ認められなくても、かっこ良くなくてもいい。生きたこと、笑ったこと、子供のように泣きたいのに大人を演じていること、これこそ賞賛に値する。

 多くのうつ病患者は、自分を責めている。うまく生きれない自分を。完ぺき主義者の人は、うまく生きるという目的が、もともと高いことが多い。セレブな生活をすること、仕事で成功を収めること、人から称賛されること、高い目標を持つこと・・・・

 その夢や目標は、誰かの受売りとも知らずに。それがなければ生きている意味がないと。

 さて、ここであなたに最高のパートナーを紹介しよう。

 自分にとって最高のパートナーとは、友人や、恋人でも、配偶者でもない。自分自身というパートナーだ。なぜなら、いつも自分と一緒にいるのだから。だから、自分のパートナーをチェンジさせたほうがよい。他人の攻撃は無視できても、自分の内からの攻撃はこたえるから。誰より高い目標を押し付けてくる。それも四六時中だ。

 厄介にも、自分自身を責めることが好きなパートナーはいただけない。なぜなら、心の奥から自分を責めるのだから。そう、もっと、頑張りなさい。もっと、成功をすべきでしょう。もっと、賞賛され、うらやましがられないと・・・・もっと、もっと!ってね。

 そんなに高い課題を自分に与えるのはなぜ?それをクリアしないと、自分には価値がないとでも言うのかい?それは、なぜ?答えて・・・過去に、それを求めた人の価値観の受売りではないのか?その価値観をもった人たちに愛されたかったから、今でもその価値観を大切にして生きている?あなたの人生は、あなたが主人公でしょう。その人の価値観に応えなくても、あなたは生きているだけで素晴らしい。

 普通の自分ではダメなのですか?この先の見えない時代の中で、しっかり生きて、夢に迷いそうになっても、それでも、目覚ましをセットして、明日のために寝床に入る。そうして、けな気に生きているあなたでは意味がないのですか。上司に叱られても、腐らないで、笑顔で生きているあなたは、ほめるわけにはいかないのですか。何もとりえがなくても、それでも、普通に大人として演じている自分には価値がないとでも言うのですか。

 僕は誰もが偉いと思う。普通であることが美しいと思う。泣きたい夜も、不安な帰り道も、それでも、未来の階段を登ろうとする、あなたを・・・・

 自分をサポートしよう。こんな感じで・・・

 今日のあなたは、よくやった。イヤな仕事を頼まれても、いやな顔をせずに笑ったあなたに、感動していたよ。さびしい夜も、未来の見えない明日のために目覚ましをセットして、明日もしっかり生きるんでしょ。ガンバレ、私!いつも、見てるよ。だって、私が、私の応援団長だからね。子供の時から、あなたを知っているわ。とりえがなくて、人より抜き出るところがなくても、あなたはシッカリやっている。大人になって、大人でない弱い自分に気づいても、それでも、しっかり大人を演じている。今日も笑ったね。偉かったよ。明日も、これからも、ずーっとあなたを見ているわ。誰が見捨てても、私はけっして見捨てないからね。約束するわ。

・・・・ってね。なぜなら、どんなに完璧な愛を求めても、自分以上に自分を見つめている人はいないし、自分以上に自分のガンバリをサポートできる人はいないから。人は誰でも自分のことで手一杯。その他人から完璧な愛を引き出そうとすると、ある時は成功をすることもあるけれど、誰かに完璧な愛を求めると誰かの不完璧さに苦しむから。だから、足らない部分は自分でおぎなうこと。

 だって、自分のダメさを愛せる人は、他人のダメさにも愛おしさを感じるから。自分の完璧でないことを愛せない人は、人の足らなさにも不満を感じ、いら立つから。精神分析医カレン・ホーナイは自分を愛せる程度にしか、他人を愛せないと言いました。

 完璧なものを他人に求めるから、その人のもとから、人は去っていく。去っていかれたから、さらに完璧な愛を誰かに求める。だから、相手の愛の足らなさに敏感になり、相手を責める。だから、その人もやがてはその人のもとを去っていく。だから、さらなる完璧な愛情を誰かに求める。そして、完璧でない相手に、完璧な愛情を確認しようとして完璧愛情確認ゲームに入ってゆく。その人も、やがて責めに耐え切れなくなり去ってゆく。僕は、これを「淋しさのスパイラル」と呼ぶ。

 完璧なサポーターは、やっぱり自分自身なのだ。そして、時折、人は、自分に優しくならいといけない。だって、人は死なないで生きているだけでも、スゴイことだよ。誰かに、さよならを告げられても、やっぱり呼吸をしている自分の身体自身を愛することだ。

 やっぱり明日の太陽は必ず昇るし、また、笑える未来があなたにも、しっかり用意されていることを信じていることだ。人間にとって大切なことは信じられるか、信じられないか。希望は僕たちを捨てない。僕たちが希望を捨てるのだから。

 ユダヤの聖典に、神はなぜ人類を生かしているかというのがある。それは、わずかな「儀なる人」が存在しているからだという。この「儀なる人」は、有名人でも、金持ちでもない。ましてや偉い学者や政治家でもない。儀なる素晴らしい人々は、子供にふりまわされている普通の親であったり、上司に無理難題を押し付けられても、ガンバっている人だったり、何をやってもうまくいかない。でも、腐りもせず、殺人や事件も起こさず、笑っている人。こんな人を「儀なる人」と言う。

 そんなステキな人々が、地球に住んでいるから、神さまは僕たちを滅ぼさないのです。そして、「儀なる人」は、自分が「儀なる人」だと気づいていない。自分は偉いと思ったり、自分は「儀なる人」かな?とナルシストになると「儀なる人」からはずされるのです。

 好きな人に去られても、去った人の幸せを願い、優しい気持ちになれる人。親の愛情が足らなくても、生んでくれて、ありがたいと思える人。自分がうまくいかなくても、他人に拍手を贈れる人。僕の周りにもたくさんいる「儀なる人たち」。もちろん、今日、人を愛せなくても、明日愛せたなら、僕たちは明日「儀なる人」。また、明後日には、はずされても。そして、その次は・・・・。

 こころが開くか、閉じるかは、起こった出来事ではない。それを、楽しめたか、楽しめないかにかかっている。今日も誰かの心が桜のように開かれて、聖なる普通の「儀なる人」が、たくさん増えますように。

 今日も、ノブ、お前は「ひとりごと」ガンバったなぁ。もう、朝ではないか。でも、今日も笑顔を武具に、やさしい言葉を武器に、60兆の細胞を大切にすることなく、最高に使い切るんだろう、お前らしく。そうだ、そうだ!何もしないで長生き、なんかクソくらえ。そして、一度だけの人生を精一杯に走り切るぞ。ノブ、お前は偉い。ステキ!ヒューヒューゥ!ガンバレー 俺!桜のようにパッと咲ききれ。狂い咲きじゃ〜!







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