君の生きたいように | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■君の生きたいように
2007年11月26日





 自分の人生とは? 生きるとは? 誰もが考えるテーマです。

 ナチスのアウシュビッツから生還したV・E・フランクルは「人生を問うなかれ、人生があなたに、その瞬間どう生きるかを問いかけていると・・・」

 そうなのです。フランクルが言うように、僕たちが、僕たちの人生をつくる立場にあるのです。僕たちは「運命」に縛られた存在ではなく、何を選択するかで、人生は自分自身で、つくれるのです。

〜 Life is a series of choices. 〜



 ≪あなたは、笑うのですか? 怒るのですか?≫

 あの人が不機嫌だから、愛想のないあの人に、私も笑顔なんか向けてなどあげないと、不機嫌な顔をして過ごすのか。それとも、相手にまどわされたり、誰かの不機嫌さにコントロールされないで、私は笑顔を忘れないで生きる。そのように、誰に対しても優しい、まなざしで過ごすこともできるのです。


 ≪傷つけられた人間を、憎むのですか? 受け入れるのですか?≫

 親だけは許せない。だって幼い時に、虐待されたから。だから、「生んでくれて、ありがとう」なんて言ってやらない。

 僕は学生時代に、よく先輩にトイレに呼び出されて、暴力をふるわれた。「目立つ」と言う理由だけで。心の中で、「自分が目立たないからだろ」と思いながら、先輩の鉄拳を受け入れた。

 自分が「先輩!」の側に立った時に、トイレに同級生に呼び出されている後輩を、さっさと自宅に帰らせた。呼び出しをかけた同級生は「なぜ、帰らせた。俺達も呼び出された、だから、先輩になった今、後輩を呼び出すのは特権だ!」と言う。僕は「そう思わない」と言った。「自分が呼び出されてイヤだったら、自分が先輩の側になった時には、悪しき風習はなくしたいと思わないのかと・・・・」今でも、僕は、そう思っている。

 誰かを憎んでいることより、許すことのほうが難しい。「天国への道は、狭き門にある」と昔、ある牧師さんに聞いたことがある。多くの人は、傷つけられた人を憎む側に立つのかも知れない。でも、許すことのほうが、狭き門だし、だからこそ相手を許し、笑顔を向けたときに、その許した人の心にパラダイスは存在するのかも知れません。


 ≪難しいからと、逃げるのですか? だからこそ、やってみるの?≫

 受講生の中に、講座後に、「わかるのですが、“現実”は、“やってみる”のは、難しいですね」と言われる人がいる。そんな時は「難しいから、やってみる価値がありますから」と応えるようにしている。言葉は呪文です。「難しい」とか「大変だ」と言ってしまうと、自分で、難しく大変なことだと、実行不可能に思い込んでしまう。自分で自分に呪文をかけるのです。

 いつも、やる前から、「難しい」「大変だ」と言うことで、自分に「変わるな」「変われない」とみずから呪文をかける人がいる一方で、「きっとできる」「他の人ができるなら、自分にもやれる」と自分に前向きな呪文をかける人もいる。あなたはどちらの魔法使いになりますか。


 ≪愛したことを後悔するのか? 愛したことを大切にするのか?≫

 過去、愛した人のことを悪く言う人と、どんな経験でも、それを思い出に変えて、自分の悲しい過去も一緒に輝きに変えてまるごと愛する人がいます。最近、テレビや雑誌で、過去の恋愛を暴露して、本を書いたり、テレビでインタビューに答える人がいる。

 そんな人は、容姿が美しくても、なぜか悲しい人に見えることがあります。過去、誰かを愛した瞬間の想い出も、「好きだ」と思ったやさしい気持ちも、すべて自分から黒く塗りつぶす人たち。

 そんな人々は、その後の未来も、幸せになれない人が多い。なぜなら、過去も、未来も、自分の選んだ選択を、すぐに自分自身から裏切れる人々だから。
なぜなら、人を愛したことも、子供を育てたことも、何かに夢中になったことも。すべては、自分のその瞬間の選択だから。


 ≪あなたは、戦うのか? 許すのか?≫

 テロ戦争が、世界を恐怖に追い込んでいます。テロの連鎖を止めるのは、怒りの連鎖、憎しみの連鎖から降りるしかないのです。2001年9月11日に、僕はアリゾナに居た。交戦的な雰囲気がアメリカ合衆国を支配する中、貿易センタービルでテロの被害にあった遺族の中にも、「イラクの攻撃は望まない」と言った人々がいた。

 僕はそんな人々を尊敬する。なぜなら、自分の家族が亡くなれば、交戦を望むのが普通だと思うから。それが、一般の人々の単純な反応なのでしょう。でも、交戦に反対する遺族は、「人を殺すことに正しいも、間違いもない」と言っていました。

 僕たちは、憲法第九条を改正して、自衛隊を軍隊にし、交戦権を認めるべきだと言っています。交戦権は、簡単に言うと「人を殺す権利」です。そして、国際的に「普通の国」になろうと。

 自国のことだけではなく、地球の未来を案じているゴア氏を落選させ、ブッシュ氏を大統領にかつぎ上げ、いまだに軍国主義に片寄りつつあるアメリカが「普通の国」なら、僕は、そんな「普通の国」などには住みたくはない。

 僕たちは「みんなが言っている」の中で、自分の家族が殺されても、自分の考えを語り、自分の意見を持ち続けられる人になりえるのか。

 第二次世界大戦の前夜のように、皆の意見の中に流されて戦争を始めるのか。主権国家として、戦争のない世界を追求するのか。友好国としてアメリカに意見を言えるのも国家の品格です。

 「降参」は、情けない言葉ではありません。人を殺す戦いから「降りて参加しない」ことです。最近、身近な人のトラブルに関しても、心の中で「降参、降参」とつぶやくことが多くなりました。

 人生を問うなかれ、人生がいつもあなたに選択を求めています。その瞬間、瞬間に、あなたの人生が、あなたに人生の選択を求めています。その選択の集合体があなたの人生になる。


 あなたは、明日を楽しむのか、しらけるのか。
    人を責めるのか、笑いかけるのか。
誰かのために、幸せを祈るのか、ある人の不幸を願うのか。
   車中で、お年寄りに席をゆずるのか、座ったまま寝たふりをするのか。
    いじめを止めろと叫ぶのか、周囲に流されていじめるのか。
 競争して勝つことだけを考えるのか、仲間の成功を心から喜ぶのか。
部屋に引きこもるのか、変化を求めて外に出るのか。
  空を見上げ微笑むのか、街の中で視線を落とし肩をすぼめて歩くのか。
未来に希望を求めて生きるのか、希望を捨てて悲観的に過ごすのか。
         自分を見捨て死に向かうのか、明日を信じて息をするのか。
  生まれたことに感謝するのか、生まれたことを後悔するのか。


 人生が、あなたに問いかける。次の瞬間、あなたは、どう生きるのかと・・・・・







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