一瞬の中に永遠を見る | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■一瞬の中に永遠を見る
2008年5月9日



 時間はうそつきです。ある人にとってアッと言う間に終わる楽しい瞬間も、ある人にとっては息をするのも苦しい時間かもしれません。

 すべての人が同じ時間を楽しんでいるのではありません。その時間にどのような感情で意味を塗り、仕上げていくかで人生は変わってきます。これを心理学では「意味づけ」と言います。

 だから、時間は、その瞬間には意味が見当たらなくても、その時間が過ぎ去った後で、その意味が現れることがあります。人生のすべての時間を、素敵な色に塗り仕上げる人もいます。そんな人は、自分の人生に与えられた「時間」を大切にしている人です。

 どんな悲しい別れも、今の出会いのために必要だったと思える人。また、「あの悲しみがあったから今の幸せがある」と言える人は、時間の意味づけが、とてもうまいのです。

 そのように感じる人は、悲しい出来事も人が人として成長するための、大切な時間に違いないと信じています。つまり、人生のすべての時間は「学び」だと知っているのです。

 そういう人は、去りゆく瞬間の「今、この時」を大切にしています。幼い子供たちの今の瞬間。今、目の前にいる人の瞳のきらめきを感じようとしています。そして、人生の中で今、一番新鮮な自分自身の感情をも大切にしています。

 まわりの景色や、いつも出会っている人を、退屈で見慣れた時間に埋没させないようにと・・・・。

 だから、苦しい出来事も、これも、いつか何かを気づくために意味があることなのだと思えたなら、それも時間の意味づけになります。

 でも、本当に苦しみの真っただ中にいる時には、強くなった未来の自分に、この瞬間にワープしたいと思う時があります。しかし、苦しくても悲しくても、それを通過しなければ未来の強くたくましい自分にはなれません。そして、その苦しみの中で学んだことが、あなたの大切なストーリーになります。

 だから、僕の好きなインディアンは、たくさんの経験をその目で見て、苦しみを味わってきた老人を、多くの若者が尊敬します。なぜなら、老人はその経験を通して、誰もが必要とするストーリーを持っているからです。若者がこれから経験するであろう悲しみや別れをたくさん乗り越えた知恵と強さを老人は持っています。

 長老は、愛されるストーリーテラー(語り部)なのです。

 だから、インディアン達には「成功セミナー」は必要ありません。なぜなら、日常の悲しみや、失敗が、心を洗い清めると信じているからです。成功だけの人生などは、語ることもない薄っぺらな人生だと知っているからです。

 インディアンの彼らは自分が語れる紆余曲折うよきょくせつのデコボコ道を選びます。舗装された道には語るべき感動がないのです。物語もそうです。いろいろな人生があるから面白いのです。小説も、日常の中で突然起こった出来事からスタートするのです。そして、波乱万丈はらんばんじょうのエピソードへと動き始めるのです。だから、ワクワクし、感動するのです。「ある人が、すべて順調にことがすすみ、幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」では、小説は一行で終わってしまいます。そんな物語を本屋で買ってまで読む気にはなれません。

 成功セミナーの「あなたが成功するための」「幸せをつかむために」という発想は、「今の人生が不幸だ」という前提からスタートしています。でも、そうなのでしょうか。

 「今、ここ」にある日常のドタバタ劇や大騒ぎの中に、人々の喜びや感動のストーリーが満ちているのです。それを味わうために人生にはたくさんのバリエーションが存在します。

これが幸せだよ。これが不幸せさ。と誰かに信じ込まされて、戻らない今、過ぎ去ってゆくこの時間を十分に味あえないことが、何よりも不幸せです。

 だから、『勝ち組』『負け組』という言葉を僕は、いまだに好きにはなれないままです。

 なぜなら、豊かさの中にも不幸の種はあるし、挫折の人生の中にも語るべき人生の宝物が落ちているからです。それが人生の深さなのです。カウンセリングをしていると、それをヒシヒシと感じます。

 人生の中で、それぞれの意味を見つけるために、僕たちにはいろいろな人生のストーリーが与えられています。その経験から教訓として学んだことが、多くの人から歓迎される知恵になります。それが、その人の財産になります。それをたくさん持っている人が、人生のストーリーテラーなのです。

 でも、人生は「勝ち組」と「負け組」という二通りだけに決められてしまうと、単純にその組み分けを信じた人々は、自分の人生の醍醐味だいごみや深みを楽しまないままで自殺したり、その苛立いらだちのはけ口を外に向け、無差別殺人や、花や動物を虐待したりします。こうした悲しい人々は人生の意味づけがヘタなのです。

 この二元論の単純化は、多くの現代人の持つ病です。

 子供をよりよい学校へ、より収入のよい職場に、人並み以上の結婚へ、未来は、さらに豊かにと・・・セミナーをはじめ、啓発書もそれを後押しします。しかし、人生も自然の一つだから、自分の理想のように出来事が進まない。それが、かんたんに「負け組」だと思い込んでいると、自殺者や、キレる人々が後を絶たない。

 現代人の多くは神様に「明日は、もっと幸せにしてください」と祈ります。僕は今までの話から、神様に祈るなら「今この時を、『幸せ』だと思える、強く優しい心を与えてください」と祈ることが大切だと思えるのです。

 現代人の祈りと違って、インディアンの人々の祈りは、「今日と、同じようなステキな日々が、七世代先まで続きますように」と祈ります。彼らの言うステキな日々は喜怒哀楽きどあいらくのある何も変わることのない日常です。「彼らは永遠に今と同じ日々が続きますように」と祈るのです。彼らがセブンス・ジェネレーションと言う時は、未来永劫みらいえいごうと同じ意味で使います。

 彼らは、泣いたり笑ったりの波乱万丈のデコボコの日常が永遠に続けばよいと祈ります。そのデコボコの中に、人生の贈り物がたくさん詰まっていると知っているからです。「プレゼント」の英語の語源は「現代」です。「今、この瞬間」を楽しむことです。

 彼らは、今という時間に、たくさんの『意味』を詰めてくれた神に感謝します。悲しみも、いつかは喜びに変わる、大きな時間のスケールで、人生をながめる能力が彼らにはあったのです。

 「今日よりも明日は・・・」これは現代人の右肩上がりの呪いの呪文です。先進国の多くが、この呪いを信じるようになったがために、僕たちは今の中にある時間の深さを楽しめなくなりました。世界中の人が、この「右肩上がり」の呪文を祈り続けると、やがてすべての国と人が、今の人生を楽しめず、競争し、奪い合い、先細りして、そして人類は崩壊への道を進むことでしょう。

 「もっと、もっと、未来をよりよく!」と言う考えは時間が右肩上がりで、直線的に進むという発想です。こう考えた文明人と言われた人々は、豊かなアメリカ大陸の自然を、二百数十年で変えてしまいました。

 アメリカ・インディアンが、1万年も長きにわたりアメリカ大陸の自然を、そのままの姿にとどめてきたのです。

 それは、時間をゆるぎない円環として観ていたからです。彼らは何気ない日常を噛みしめてかみしめて生きてきたのです。日常の変わらない人生の中に、たくさんの幸せがある。そう信じていたのです。彼らの祖父も祖母も、先祖もそれを楽しんだと・・・・・

 だから、人生とは廻る輪の中で楽しむものだと。だから、彼らは円環(ホイール)が大切なバランスの象徴なのです。それは、今という瞬間の中にある光や、自然や、笑顔や、涙や、見慣れた景色の中にも「美しさ」があることを味わった者だけが到達した永遠の知恵なのです。

 皆さんのデコボコの人生に幸あれ・・・・












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