思い出のゆくえ | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■思い出のゆくえ
2008年8月11日



 時間は悲しみを癒してくれる優しさもあるけれど、時間には優しい思い出を遠い過去に連れ去る一面もある。

 あなたと手をつないだ感触も身体のどこかに残っていますか?
  あなたがなでてくれた頭の感触は僕のどこにたくわえられているのでしょう・・・・

 昔、あなたがほめてくれたあの歌が、飛行機のヘッドホーンから偶然に流れてきました。それが何とも不思議な気持ちで・・・・抜けるような空の青さにあなたのことを思いました。

 あなたの愛した僕は、今でもあの日の僕ですか?思い出はどこに流れていくの・・・・もう、あの日のあなたと、あの頃の僕は会うことはないのでしょうか。

 いえ、時空を超えて、また、会えますよね。きっと、人は信じているから、別れができる。そんなことを思って最後のさよならをしに、あなたに会いにゆきます。

 祖母の死期が近いのを知らされたのは、愛した義父の一周忌。僕の実父の洋一さんからでした。

 僕の育ての母でもある祖母。両親の離婚、義理の母の自殺、それらの時にいつもあなたの手が僕を引き上げてくれました。まさに、僕にとっての救い手“おばあちゃん”。

 僕と妹を引き取って、母の役割になってから、僕の反抗期には、言い合いもしましたね。祖母であるだけなら、ただの好いおばあちゃんでいれたのに、思春期の僕とは、いい口ゲンカ相手でしたね。でも、ゲームみたいな、本気でないケンカで、まるで新しいごっこ遊びの一つでもあり、じゃれ合いのような安堵感のある言い合い。

 家族に飢えていた僕は、その言い合いがなぜか心地よくて、その度に、僕は祖母の愛情を確認していたのかもしれません。今にして思えば、言い合いしても僕たちの関係は切れないという安心感のようなものが、あなたからは漂っていたのでしょうね。

 そして、僕たちの仲直りの仕方は、何もなかったように僕に向けられるあなた笑顔でした。その笑顔で、また日常が始まるのです。

 あなたの息子で、僕の父である父さんが、あなたの死を前にしてひどく落ち込んでいました。洋一父さんにとって、はじめての死というストレス。僕は少し覚悟ができていました。昨年の妹の結婚式の時に、なぜだか、そんな気が・・・・なにより、順番通りだから。

 僕の息子が小児ガンの宣告を受けた時に感じた理不尽さ、実の母のガンがわかった時のむなしさに比べれば、まるで大いなる自然の流れのように、季節が変わる時の淋しさのような、あきらめなければという気持ちでしょうか。

 なぜなら、今は、あなたの大切な人々は、こちらの世界よりも、あちらの方に、たくさん居るものね。

 稼業で大所帯の従業員の食生活をまかなっていたあなた。年老いて孫の親代わりになって、朝早く起きて食事の用意をして、母屋に帰り、また、夕方に僕と妹の住む家に訪れては、身の回りのことをして、母屋に帰るあなた。

 いつも、忙しくしているあなたが、晩年ゆっくりしている時間が多くなって、良かったという思いと同時に、なんだか、僕にはあなたが淋しそうで、違和感も感じていました。

 あなたの大切な人々が旅立って逝くことを淋しく見送ってきた祖母だからこそ、なんだか、おめでとうという気分でもあるのでしょうか。

 だから、あなたの息子であり、僕の父である洋一さんから、あなたが永くないと聞いた時、僕は、「そう。で、病状は?」とうろたえなかったのは義父の一周忌の場だからということだけではありませんでした。

 「あと数ヶ月もつかどうか。頭もシッカリしとるんじゃ」と今にも涙を流しそうな父に「父さん。父さんでなくてよかった。だって、順番どうりだよ。もし、これが反対なら僕のほうがショックや。おばあちゃんにとって順番違いになるんやで。僕は父さんが元気がないから、父さんの体調が悪いのかなと思っていたケン、ホッとしたわ。だって、空悟(息子)のガンの告知の時は怒りすら感じたけど、今回は順番やん。父さん、息子が先に逝ったらあかん。だから、これでいいんよ。ねぇ父さん。ばあちゃんにとっては、大親友も、愛する人たちもあちらの世界のほうが多いやケン。だから、気持ちよく見送ってあげんとね」

 「おまえは強いなぁ。でも、まだ頭も元気なんで。だから、かわいそうでいかん」また、感情の波が洋一さんを襲う。

 僕はあわてて「父さん。ばあちゃんは、僕と暮らしている時に『いつも人に迷惑かけたくない。ポックリ逝きたい』とお寺にお願いしに行ってたんよ。だったら、願いが叶ったやん。僕はあっぱれだと思うなぁ。これから、父さんや僕たちの周りでは、誰かが結婚したとか、そういうめでたい話よりも、誰かが亡くなったということを聞く機会のほうが多くなるよ。それが、老いの課題だから。だから、覚悟していないとね」と僕は平静さを装う。

 「おばあちゃんには告知するの?」「バァさんには言わん。」「おばあちゃんの痛みは?」「だんだん痛みがひどくなりよる」と父。

 「告知しないのはいいけど。ばあちゃんの知り合いには言わないと」
 「いや、誰かに言って、バァさんの耳に入るのは困る」また、父が自分勝手なことを言っていると思い、僕は「父さん。ダメだよ。父さんが息子として告知しないと言えば協力してくれるよ。それに、本人は心の中でうすうす感じていても、大切な人から「大丈夫」と言われると信じようとするから。なにより、おばあちゃんが心配するのは亡くなった後の人間関係だよ。ばあちゃんが一番つらいのは、息子である父さんが『何で、洋ちゃん早く教えてくれんかったと』と、周囲から責められることやで。おばあちゃんはそれを一番望んでいないから」と祖母の思いを伝える。

 「バァさんが死ねば、人間関係も無くなるわ」また、洋一さんはすぐ、投げやりで捨てばちな言い方をする・・・・もちろん洋一さんの本心ではないのだけど・・・・

 「たしかにそうかもしれん。でもね、父さんから人間関係を悪くする必要はないやん。それは、ばあちゃんが一番悲しむことだよ。だから、すぐに大分に帰ったら、おばあちゃんの大切な人に伝えてよ。父さんとの歴史よりも、おばあちゃんとの歴史のほうが長い人がたくさんいるんだから。おばあちゃんも昔の話なんかをしたいかもしれないし、伝えたいこともあるだろうから・・・」

 僕は祖母の亡くなった後、父が責められて、周囲対して投げやりになるのもいやだった。

 「痛みをブロックするためにモルヒネを投与する量が多くなると、意識は混濁するんだよ。そんな状態の時に見舞いに来てもらっても、寝ているだけで、まともに会話ができなくなれば、なぜ、早く教えてくれなかった、と責められるのは父さんだよ。だから、お願いだから情報は父さんで止めないでみんなに流して。それに、おばあちゃんも意識がシッカリとしている時に、誰かと話したいと思うよ。」

 「わかった。そうする」素直に訊いてくれる父に、僕は優等生になり過ぎたと反省して「でも、よかったよ。父さんでなくて。順番違いは良くない。だから、僕より父さんの方が順番的に先だから、先に逝ってもらわんといかんからね」と憎まれ口もたたいて僕は笑った。

 「おまえは強いなぁ。もっとうろたえるかと思った」

 僕は心の中で、「あなたの息子として鍛えられたから」と押し殺した言葉・・・・あなたの元を去った、たくさんの義母たち。僕が愛した第二番目の母の自殺、大人になって再会した実母の死、息子の病気。尊敬していた義父の死。「あなたの陰で、僕はたくさんの涙を流したから・・・・」と。それに、先にそちらが落ち込むと、こちらは落ち込めない。僕にとっての母でもあるんだよ。おばあちゃんは・・・・

 でも、祖母にも母としての問題がありました。カウンセラーの立場でそう思う。今回、僕たち親子のことを考えました。洋一さんが若い時から好き勝手に生きてこれたのも祖母のお陰なのです。自分の子供の面倒まで自分の親に任せ、甘えの上に成り立った、生意気盛りだった父の若いころ。そのダメ息子をつき離せないで孫まで引き受けた、祖母の過保護・・・「どうして、洋一は、ああなのかね」と祖母は愚痴を言いながら最後は許してしまう弱さ。

 「孫の面倒までは知らない」とつき離せば、父さんはもっと早く父親になれたかもしれない。でも、それだけ愛情を感じた息子だから、祖母は、僕たち兄妹も見捨てられなかったのも事実。

 その愛する息子に、ここ数年は大切にされて祖母は幸せだったように思う。「ババァ」としか僕の前で話さなかった洋一父さんが、「『洋一、私が退院したら、また釣りに連れて行ってよ』と、バァさんが言ったけん。『連れて行くけん。早く元気になって退院せな』と言ったんよ」と話す父を見て、最近の母と息子の良い関係性を知り、安堵する僕。

  やっとここに戻ってきたのですね。長い道のりだったけど。

 だから、父さん。悲しいけど、今度はあなたが悲しみに耐える番です。あなたが生まれる前に戦争で亡くなった、あなたの父で僕の祖父の死。でも、今回は痛みを感じてさよならを乗り越えないといけませんね。

 父さん、僕はあなたに嫉妬しています。自殺した義母が、僕たちを置いて家を出ないで、あなたに伝えたかったことは、「私は逃げないで“あなたの子供”を愛しました。」それが良いとは今でも僕は思わないけど・・・・悲しげに泣いている母に、幼い僕はなぐさめようとして母の背中にしがみついた時に言われた、「あなたじゃないの・・・」の一言。初めての失恋だったかもしれません。

 そして、おばあちゃんが僕たちの世話を引き受けたのも、僕たちを愛してはいただろうけど、やはり、息子であるあなたが可愛かったのだと・・・・その息子の子供たちだからこそ見捨てられなかったんだろうと思います。洋一さん、いつも、あなたは努力なしでも愛されていたのです。僕はその中で、いつも愛されるために努力をしてきたような気がします。

 そして、今度はあなたが、親と別れる悲しみを経験しようとしている。でも、今度もやはり僕がついている。そして、僕はどうしてもあなたが嫌いになれなかった。今までも、これからも・・・・・

 人生の中で、努力なしに、愛される運のいい人がいることは、父さん、あなたを見ていて思います。そして、このお盆は、遠回りしたけど手に入れた、おばあちゃんと息子の平和な、短い時を見にゆきます。妹から聞いた「もう見る影もないぐらいやせ細っている」あなたに会いに。そっと「さよなら」をつげるために。決して楽しい再会ではないと思うけれども・・・・

 昨日、仕事帰りの飛行機の中で、僕が幼稚園に行く前くらいに祖母に連れられて、バス旅行に行った時に、バスの中で僕が歌ったらしい美空ひばりの『真っ赤な太陽』の歌が流れていました。「おまえがとても上手に可愛く歌うからね、自慢だったよ」と語ってくれたことを思い出し、抜けるような青い空を見つめがなら、遠い記憶のかなたに幼い頃の僕と、やさしい祖母の笑顔を思い出して涙が止まらなくなりました。

 思い出は、どこへ流れていくのだろう・・・・それとも、僕の体の細胞のすみずみのどこかに隠れているのですか?
 幼かった僕と、今の僕と・・・大人として強くなることは、逃げて帰る場所がなくなるようで・・・・時間は優しくもあり、悲しくもありですね。













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