さよならの季節 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■さよならの季節
2008年9月16日



 祖母が亡くなりました。たくさんの方からお悔やみの言葉をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 祖母であり、育ての母でもあり、空気のように僕にはなくてはならない存在でした。でも、気がつけば、その空気がなくても生きられるくらいまで成長していたのですね。前回のひとりごとでも書きましたが、お盆に里に逢いに行ったので、その時“さよなら”をしっかり心の中でできました。

 僕が帰る日に「ノブくん、もう逢えたからね。私が死んでも来なくていいんよ。あんたは仕事があるけんね。元気でね・・・」消え入りそうな声で、ベッドの前でうなだれる僕に、頭をなでながら言ってくれました・・・祖母の葬儀は、偶然にも講座のない日でした。ありがとう。いつも気を遣ってくれて・・・おばあちゃん・・・

 家庭を持ってからは、帰省するたびに「よく帰ってくれました」と旅の疲れをねぎらい、里を離れる時には「お元気で過ごしてください」と、いつも丁寧に挨拶をする祖母でした。

 その挨拶の陰には、「お前の大切な人は、ここには居ない。今の家族ですよ」と、祖母なりにケジメをつけていたのでしょう。子供の時から可愛がっていた、親戚のお姉さんにも、そのように挨拶する祖母に、学生の時には違和感を感じていました。嫁ぐまでは、自分の子供のように叱ったりしていたのにと・・・・。

 でも、それが、祖母のケジメでした。

 この時期は、夏から秋への移行の季節です。前の季節と別れるように、さよならのケジメのつけ方は大切なのですね。

 「有終の美」という言葉ありますが、終わりかたは人の生き方が問われるのです。

 人を傷つけないと別れられない人もいます。すべての出会いに感謝して、悲しみも、次のステップにする人もいます。別れかたは出会いかたよりも大切です。

 別れの風景に、人の美しさが出てきます。別れる時にこそ、その人の人格がにじみ出るのです。それは、その人の心のあり方が問われるからです。

 別れかたは、次の出逢いに影響します。晩年になって多くの人に親しまれ愛されている人は、それぞれの風景で、ケジメのつけかたが美しい人だったのです。

 カウンセリングのクライエントの中には「相手と逢えない状態をつくらないと別れられないから・・・」と言う人もいますが、それは人間関係が“ビルド(build)orクラッシュ(crush)”の人です。

 会社もケンカしないと辞められない人。恋人に罵詈雑言(ばりぞうごん)をぶつけないと別れられない人。今の世界を破壊しないと終われない人。

 積み木を積み上げた子供が、一挙にバーンと破壊してタナトス(壊す快楽)得ることを破壊的なタナトス・エネルギーとS・フロイトは呼びました。

 人生の中で時間をかけて作り上げてきた人間関係も、究極のところで一瞬にして崩壊させるのは、幼児性が強いのです。このような人は怒りをぶつける時に、「何とかなる」という気持ちに支配されていると、『人生脚本』の考えを提唱したE・バーン博士は指摘します。どれだけ時間を費やして作り上げてきた関係かを忘れ、怒りで一瞬にして壊す。このような人は、人生の実りを無駄に費やし、哀れなさびしい晩年を送ると博士は言うのです。

 穏やかにすべてを締めくくることが出来ずに、別れる瞬間に、誰かを傷つけたくなる復讐心に支配される。このようなクセの人は、想いかえすと過去にも同じような気分を味わったはずです。人生は勝ち負けで、怒りの感情で頭が支配され「えーい!なんとかなる」と破壊の快楽に酔いしれます。

 その結果、世界をどんどんせばめてしまいます。逢いたくない人、行けない場所がたくさん増えるのです。それだけに世界は狭く、人間関係は、築くか、壊すかの二つしかないのです。

 第三の道、静かな生き方のたたずまいを知らない人。

 ですから出逢いかたよりも、最後の終わりかたで、その人の人生が建設的なのか破壊的なのかを見分けることができます。

 なぜなら、どんな出会いも、関わりも「その人の人生の一コマ」でもあるからです。

 芸能人の暴露本などは、復讐心と憎悪であふれています。もちろん、許せないこともあるのでしょう。でも、愛情の反対は、憎しみではありません。愛情の反対は忘れるとことです。愛情と憎しみは同じ質のものです。その人をやり込めてやりたいは、その人のことで頭が占拠されていることに気づく必要があるでしょう。

 子供の頃は別にして、大人になってからは、出会いも、関わりも人生の選択です。なぜなら、逃げることも、会わないことも、進まないことも自分で選択できたのですから・・・・。自分で選んだものを悪く言うのは、自分の生き方を否定するのと同じことになります。

 仕事のことや、過去愛したであろう人のことを、恨んだり、悪く言う人の話を聞いていると、多くの人が口では同情しますが、その姿に「悲しさと、憐れみを」感じてしまうことは否めません。それは、その人が自分の選択や、過去の自分の時間に、自分自身でケチをつけているからです。

 昔から「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。人生がポジティブに構築するか、苛立ちながら過ごすかで人生は大きく変わってきます。

 「清濁併せ呑む」という言葉もありますが、自分で選んだ何か、自分で進んだ何か、自分で学んできた何かを最後にケチをつけることは、自分の過去にケチをつけるのと同じなことなのです。すべての出来事、経験をポジティブに受け取れるしなやかさがないのです。それは取りも直さず過去の自分自身を嫌っていることになるのです。

 何よりも怒りの感情は、顔の相を年齢を重ねるたびに悪くします。

 アメリカのE・ゲイツ博士によると、人間が怒っている息を、冷却したガラス管に集めると栗色の沈殿物ができるそうです。それをマウスに注射すると、数分でネズミは死ぬといいます。人が一時間以上怒り続けると、80人の致死量に到達したと博士は語ります。人の血液は怒ると黒褐色で渋くなり、悲しむと茶褐色で苦くなる。恐れると紫で酢っぱくなると言われています。笑っている人の血液はさらさらと流れます。だから、病気になるのも自分。人生を孤独にするのも自分しだいなのです。

 だから、イライラしている人の周囲は空気が悪いのもそのせいです。人の悪口を言う時も、聞く時も、耳だけではなく、空気も吸わない方がいいかもしれません。それは、ムリか・・・・

 夏が過ぎ、自分の人生をふりかえる季節。さよならの仕方は、生き方につながります。あなたは、誰かを恨んでいますか。それとも、ポジティブに取り込んでいますか。

 V・フランクは言います。「人生とは何かを問うなかれ、人生があなたに問いかけているのだ」と・・・

 あなたがその人を憎むのか、許すのか、その瞬間、怒るのか、笑うのか、ある人を毛嫌いするのか、受け入れるのか、その瞬間の集大成があなたの人生そのものになります。別れの時は、人生の小さな章の締めくくりです。怒りながら章をしめくくるのか、ハッピーエンドで締めくくるかで、大きなあなたの人生の本は完成するのです。

 チャールズ・チャップリンは言いました。「人生とはクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットだと喜劇になる。」僕は約束します。想い出に変わらない悲しい出来事はないのですから。

 どんな時にも、「人生にイエスを言いたい」それが、僕の生き方だから・・・

 秋のコバルト色の空に、どんなことも風のようにサラッと笑顔で吹き抜けていきたいと思う季節です。












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