あなたに会えて・・・ | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■あなたに会えて・・・
2009年2月24日



 2月22日の誕生日。企業研修などの時、若く見られるのを嫌って、早く老けて見られたいと願ったあの頃・・・・ある時期から、時間よ止まれと願うようになった。だから、誕生日が来ても、ため息まじりに「あ、そうだったね」と受け流したい今日この頃。

 でも、多くの人からメールをいただき、何かしら花やらプレゼントがオフィスや自宅に届くと複雑な気持ちになります。もちろん、嬉しいのは間違いはないのだけれど。

 ましてや、直接に、僕がお世話になっているボランティのメンバーや、教室の受講生にプレゼントをもらうと、ありがたいやら申し訳ないやらの気持ちに支配されます。「いやいやどうも。なんで〜いいのに」と、とってもヘンなリアクションになる。

 なぜなら、僕は大好きな仕事をしているのです。そして、教室では今感じていることを語り、時より歌って踊っている。カタルシスの瞬間であり至福の時です。

 それに、それなりの生活ができるのも、心理カウンセラーという好きな仕事や、多くの仲間のおかげなのだから。

 だから、あなたが今日さげてきた紙袋のプレゼントは、あなたが仕事の帰り、あるいはお昼休みの貴重な時間に費やしてくれた気持が一杯詰まっているから・・僕は少し、ほんの一瞬だけれど躊躇する。

 僕に受け取る資格がありますか?

 このプレゼントの一端は、誰かにあなたがムリして笑顔を向けた代価ではないかと思ってしまうから。誰かが君に重い荷物を背負わせた、その報酬だとすると・・・・僕は申し訳なさでその場から逃げたくなるのです。

 なにより僕は照明のあたる、舞台から今、興奮して降りてきたとこだから・・・その優しさの大半は、いつもガンバっているあなたに向けられるものだと・・・。「先生、ありがとう」のカードの言葉を見るたびに、それは、僕が、あなたにたくさん、たくさん伝えるべき言葉なのだから。

 僕は、あなた達が言うほど聖人君子ではないことは、自分が自分で一番わかっているから・・・・。だから、僕は肩身が狭い。そんな、優しく見られると、自分の好きなことを、楽しい仕事しかしていない自分が恥ずかしくなる。

 だから、だから僕は、舞台で語っている時は、祈るような気持ちになる。みんなを幸せにしたいと・・・そうですオーバー過ぎて自分でもおかしいです。だから時よりトンチンカンなことに首をつっ込む。そして、よけいに迷惑をかけたり・・・やはり、かけたりです。

 でも、最近、ようやくわかったこと、そんな風にトンチンカンな願いをもってなんとか生きているだけなのに、思いもしないところで、誰かに喜んでもらっているということ。そんな誰かに僕が救われているということ。

 夢のような願いでも、やり続けていると思わぬところで、思いもよらぬプラスの誤解がいただけるってこと。けっして与えてはいないけど、誰かに愛を与えたいと思っていると、逆に優しさを与えたいと思ってる人達に囲まれるプラスの誤算があること。

 だから、誕生日は人の優しさに出会い過ぎて、バランスを崩した感覚が残る日でもあります。だって、その優しさの量が多すぎて、返せないよと不安になるから。

 「ムリしないで」という、日々、ムリしているであろう優しい人に言われると、今日めげている僕に勇気をくれていることをあなたは知らない。そのあなたの存在が、明日は、もう少しムリして生きてみるかと思えるように、僕のエネルギーになっているのだから。

 今日この日は・・・・僕を産んでくれた誕生日が命日なった、お袋に・・・・。

 そして、僕に愛を失うことの淋しさを教えた、二番目の母にも・・・泣いている母の肩に、「ママ、大丈夫」って言って抱きしめても、あなたに必要なのは家に帰らない父でしたね。淋しそうなあなたの笑顔がそれを物語っていた。

 その時、自分の頼りなさと、必要とされない悲しみを知りました。だから、強くなりたいと願ったあの頃。だから、苦しい時に必要とされるカウンセラーを目指した。

 ただ今でも必要とされない者の悲しみには敏感です。昔に胸に刺さった詩があります。


   「ぼくだけほっとかれたんや」

           一年 あおやま たかし

  がっこうからいえへかえったら だれもおれへんねん
  あたらしいおとうちゃんも ぼくのおかあちゃんも にいちゃんも
  それに あかちゃんも みんなでいってしもうたんや
  あかちゃんのおしめやら おかあちゃんのふくやら
  うちのにもつがなんもあれへん
  ぼくだけほってひっこししてしもうたんや
  ぼくだけほっとかれたんや

  ばんにおばあちゃんがかえってきた
  おじいちゃんもかえってきた
  おかあちゃんが「たかしだけおいとく」
  とおばあちゃんにいうてでていったんやって
  おかあちゃんがふくしからでたおかね
  みんなもっていってしもうた
  そやから ぼくのきゅうしょくのおかね はらわれんいうて 
  おばあちゃんないとった おじいちゃんもおことった
  あたらしいおとうちゃんぼくきらいやねん
  いっこもかわいがってくれへん
  おにいちゃんだけケンタッキーへつれていって
  フライドチキンたべさせるねん ぼくつれていってくれへん

  ぼくあかちゃんようあそんだったやで だっこもしたった
  おんぶもしたったや ぼくのかおみたらじきにわらうねんで
  よみせでこうたカウンタックのおもちゃみせてくれいうねん
  てにもたしたらくちにいれるねん
  あかんいうてとりあげたら
  わあーんいうてなくねんで

  きのうな ひるごはんのひゃくえんもろうたやつもって
  こうべのデパートへあるいていったんや パンかわんと
  こうてつジークのもけいもこうてん
  おなかすいたけどな こんどあかちゃんかえってきたら
  おもちゃもたしたんねん てにもってあるかしたろうおもてんねん
  はよかえってけえへんかな かえってきたらええのにな 

     =灰谷健次郎の「子どもに教わったこと」より=


 この詩を書いた青山たかし君は6歳。たかし君の担任の先生も、幼い時に悲しい思い出があったという。

 幼い頃、すごく貧困だった先生は、家庭訪問の時に、なけなしのお金で訪問してくる自分の担任の先生のために母が茶菓子を買った。それは、当時幼い先生が食べたことのない、彼の家では贅沢なもの。でも、訪問した先生は茶菓子を食べなかった。

 せめて「お持ちください」と紙にくるんで母が手渡した茶菓子を玄関先のゴミ箱の中に先生が躊躇なく捨てるのを彼は見ていた。紙にくるまれて汚れていなかったので、お腹を空かせていた幼い彼は、それを食べたいと母に手渡す。

 母は無言で悲しい顔をして再びゴミ箱に捨てたそうだ。母の悔しさが伝わった、少年時代の先生は、もうあれほど空腹だったのに食べたいと思わなかったという。


 人生の悲哀を生きるものとして、なぐさめることも、憐れむこともなく、真実を見続けようとする先生だから、六歳の少年に奇跡の詩を書かせた。

 悲しみを経験した人の心は、悲しい人への共感があると言ったのはカール・ロジャーズだが、この世の中には、説得も、同情も、憐れみも吹っ飛んでしまうような悲しい現実に出会うことがある。だから、ロジャーズは、ただ悲しい人の“そばに居る”ことをすすめた。悲しみをただただ共感するために・・・
 たかし君は、共感してもらえる先生に出会えた・・・・

 僕も、今、子ども時代の悲しみを越えて、カウンセラーとして、必要とされることの喜びを感じています。子どもの頃の僕は、激流にほんろうされるしかできなかったけど、今は流れを変えることができる大人になった。そして、心の流れを変えるたくさんの方法も心理学の中で学びもした。

 自分が誰にも愛をもらえなかったと思うなら、自分が誰かに与える側になればいい。それは、自分を癒す方法だと思う。

 誕生日は、命とともに、僕のようなものにも「おめでとう」と言ってくれる、あなたの優しさをたくさんいただきました。

 所詮、人は一人なのだとヒザを抱えて涙する夜も、心傷ついて何も信じたくない夜も、すべての人が死に絶えて、自分だけ宇宙の中で独りぼっちだと思い、孤独が自分の両肩にずっしり、のしかかる、そんな真夜中・・・・誰かが、どこかで同じように、孤独と戦いながら、今この瞬間も呼吸して生きているのだと知ることができたら、生きている心細さは少しは和らげられるだろう。

 そんなあなたの「お誕生日、おめでとう」という言葉が、生きていることも捨てたものではないのだと、僕に新しい息吹を与える。

 僕こそあなたに言いますね。生きていてくれてありがとう。生まれてくれてありがとう。僕と出会ってくれてありがとうと・・・・・































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