二つの世界〜陰陽説〜 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■二つの世界〜陰陽説〜
2009年10月21日



 気づかないものに囲まれて僕たちは生きています。・・・・そこにあるけれど、意識にのぼりにくいこと・・・それを意識することで、僕たちは英知が生まれる。

 ≪空気≫ なくなって初めて気づく大切なもの。

 ≪自分のぬくもり≫ 誰かにふれた時ほど、ぬくもりは感じるもの。

 ≪命≫ 生命がある時にしか、意識されない自らの鼓動。

 ≪今≫ 今を意識した瞬間に過去になってしまう、捕まえることのできない時間。

 ≪愛≫ 角度を変えると、美しくも、残酷にもなる美しい宝石。

 ≪空≫もそう。人混みの中で歩いている時にも、泣いている時にも、見上げれば、いつもそこにあるもの。

 秋は一番、僕が空を見上げる回数の多い季節です。

 この地球上で生まれて、ステキなものもたくさんあって、誰もがこの星を楽しむために生まれて来たのに、みんなが自分の正しさを押し付け合っているから、みなが仲良くできない。

 この地球で、今この瞬間に、どれだけの人たちが、広い空を見ているのだろう。今、この時も、空は僕たちを見つめています。悲しんでいる人にも、怒っている人にも、空は、いつも微笑んでいる。でも無視されていることが多いかなぁ・・・・。

 このコバルトブルーの空の下、楽しさを探す人と、面白くないことを見つめている人がいる。

 カウンセリングをしていて、人生を楽しめていない人の多くは、自分自身や、他人を攻撃しています。そして、自分で、その苛立ちから脱出しない。

 空は僕たちの頭上で微笑んでいるのに・・・・

 どれだけ、僕が教室で、教えても、語たり続けても、伝えようとしても、カウンセリングルームや、日々の生活で、怒りの顕微鏡をのぞき込んでいる人々に出会う。

 あの芸能人がどう・・・あの人がこう言った・・・・。あの先生ではダメ。このウワサ好きな人たちは、他人のあれや、これやに、時間を使う。人のウワサから抜けようとはしない。世界の広さを忘れて、狭い人間関係に“とらわれ”ています。

 人生を楽しんでいる友に出会う。いつも前向きな話題や未来志向の話が多い。だから、僕の仲間である成功した友人たちはいつも笑っている。だから、人生が充実している人には、後ろ向きな話題は似合わない。

 何かのはずみで、後ろ向きな集団に出会ってしまうことがある。その人たちはいつも深刻で、何かに苛立っている。だから、その人の人生は、なぜか上手くはいかない。

 ある時に気づいたことがある。うまく人生を歩んでいる人は、明るく前を向いて、過去に執着しない。そして、人のことを、あれこれ言わないで、明るく未来を見ている。成功者は、人のゴシップ、悪口、ウワサ話は好きではない。なぜなら、それは、未来志向ではないし、人の明るい部分を見ていないから。だから、前向き集団は、ウワサや、悪口には、あまり関心をしめさない。
 人のウワサ話に時間を使っているヒマがないと言う。何よりも、それは生産的なことではないし、自分は未来を見つめてまい進しているからと・・・・・

 悲しいことに、すごい時間をかけて、誰かを不幸にすることに力を注ぐ人がいます。誰かを悪く見せるために、努力と時間を惜しまない不思議な人たちが・・・・。明るい場所で生きようとするよりも、陰の世界で生きようとする。「陰口をたたく」と言う言葉は、それを現わしている。
 そして、前向きな世界で未来をつくらずに立ち止まっているから、彼らには不思議なくらい時間がある。だから、無駄なことに労力を注ぐ。悪口、ゴシップ、せん索好き。他人のことが気になって仕方がない。

 明るい南の海で生きている魚はカラフルで、深海の中でうごめく魚はグロテスクなものが多い。
 人も、人生の陰で生きず、明るい空の日の当たるところで、生きなければいけないと僕は思う。

 人生を楽しめない人は、自分も他人をも高めるための努力には時間を使わないで、自分の批判がいかに正しいかを、誰かにわかってもらうことに、恐ろしいほどに労力とエネルギーを注ぐ。それだけに他人からのマイナスの賛同が、その人の悪口のより所になるからです。他者依存が強く自分に自信がないことに気づかない。

 悪口、ゴシップに連なる人は、やはり後ろ向きな人でしかない。だから、その集団は、やがて、誰からも相手にされなくなる。他人の賛同に依存している他者依存の人は、また、新たに悪口を言う仲間を探すことに時間を費やし、明るい人生を台無しにしてしまう。

 「誰かを責めることでしか、自分をアピールできない」これを引き下げの心理と呼びます。

 成功者や明るい人を観察していると、人のうわさ話に花が咲くことはありません。たとえ、後ろ向きな人が、たまたま前向き集団の中にいたとします。その人はあまり前向きな話は面白くはないので、うわさ話を語りはじめます。でも、前向きな明るい集団は「あ、そう」で終わってしまう。人の悪口は前向き集団では増殖しないのです。だから、マイナスな話は、明るい人たちの中では他の話題に自然に変わってしまう。そう、まるで彼らには、興味のない世界であるかのように。

 なぜなら、他人のウワサが、「未来」を明るくするものではないと、明るい成功者は誰もが知っているからです。

 アメリカで読んだ「Personality」という本がある。心を病んだ患者は、自分のどんなことでも大層に扱われないと不機嫌になるのだと。自分のちょっとした批判に対しても注目して、自分の提示したウワサ話にも大騒ぎしてくれないと我慢できないと書かれていた。
 でも、人のウワサ話や悪口などは、前向きな人々にとって、それほど明るくも、楽しくもないので、最初は「そうなの」と聴いていても、前向きな人は、話題を明るい話しに変えたくなる。でも、心を病んだ患者は、それがとても面白くない。皆が自分の提示したウワサ話を中心に永遠に盛り上がってほしいと幼児的願望を望んでしまうのだとケリーという著者は分析している。

 そして、後ろ向きな人は、いつまでも誰かに「そうだ、そうだ」と賛成してもらい、自分が気に入らない人のことで、皆が永遠に怒ってもらいたいという感情に支配されます。

 それほどに、心を病んでしまった人は、これからの人生を楽しんで作り上げるよりも、他人を引き下げることでしか、人生を楽しめないのです。

 だから、カウンセリングの現場で、このような相談者に出会うと、前向きな話にはならないまま、話がまた堂々巡りをしてしまう。カウンセラーは同じ悪口を、何度も角度を変えて聴かされることになります。

 我々、カウンセリングをしている者にとって、カウンセリングの終結は、過去志向から未来志向になることです。「あの人を恨むより、新しい恋をします」とか、「去っていた女房に未練がある僕が情けないですね。だから、僕、料理の免許を取って店を持ちます。その時は先生にご馳走しますね」このような発言が相談者から発せられると、カウンセリングは終結の合図になります。

 そう、秋の青空のようにカラッと未来志向に向き始めたからです。

 一番、恐ろしいのは不完全な人生を生きている病的な人々が集まると、後ろ向きな悪口集団が形成されます。そして、生産的でない話題が永遠に連なるのです。不思議なことに、倫理だ、正義だと叫んでいても、人のうわさ話にしか過ぎないということに気づかないで、混沌としたドロドロの時間を誰もが過ごすことになります。弱い犬ほどよく吠えると言うように、傷のなめ合い集団が形成されます。なにも生産的ではないのです。これは飲み屋の席、お母さん達のマイナスな集まり、悪口サイトの常連。そして、いつまでたっても人を悪くいう集団から自分達自身が脱出できなくなる。

 世界は自分で作るもの。そして、時間は、この瞬間も確実に人生の完成へと、人生の終わりに近づいています。過去に執着している人や、誰かを責めることで時間をつかっている人に出会うたびに、空の見える明るいところに連れ出したくなります。こちらの世界に来ないかと・・・・

 「あなたの住む世界は広いのですよ。あなたが腹立たしい過去や誰かを責め、苛立ちの顕微鏡でのぞいて世界を狭めなくても、その苛立ち自体は、“しがみつき”なのです。だから、手放して、空を見ませんか?」

 僕はキッパリと言います。苛立ちも、憎しみも、恨みも、何かに対しての執着(しがみつき)だと言うことを・・・・手放した時に、僕たちは、過去と決別し、未来に向かうことができるのです。

 だから、成功者は言います「あ、そう」で・・・・違う明るい話をしましょうかと・・・・・。

 ≪未来≫ 誰にも予測できないこと。でも、前を向いて歩き始める人だけに訪れる確かなもの・・・・過去にしがみついている人は、過去の苛立ちを持ち越したまま侵食された未来を、歩むことになる。

 見えない心の世界を、しっかり見る学問。それが≪心理学≫。










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