小っさきこと・・・なぁ、竜馬。 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■小っさきこと・・・なぁ、竜馬。
2010年1月26日



 平成22年になりました。僕の好きな番号2という数字。ということは、今年の僕の誕生日は、平成22年、2月22日。惑星直列のように、オール22222という番号の直列。こんなことなら記念に講演会など、何か企画を考えておけばよかった。されど、思いついた時には、すでに遅し、会場の予約はムリだし、その日は九州での仕事が入っていました。ならば、次のタイミングは、西暦2022年。でも、中に「0」が入ってしまうとね。ならば次は、西暦2222年です。なんと212年先。その頃には、もう僕はいない。

 ところで、今年に入り体調を崩し、新年早々、体験講座に穴を空けてしまいました。アリゾナに住んでいた頃以来、約10年ぶりに、林先生に体験講座を担当してもらいました。

 今までも、長期休みに入ると体調を崩すことがありました。僕はマグロと同じで、泳ぎ続けないとダメで。休むと体調のバランスが不調になるようです。

 そんな時に、“ひとりごと”を書くための材料集めでテレビを見ていると、政治と金の問題で大騒ぎです。また、「今の政府ではダメだ」と言う大キャンペーンが始まったのでしょう。今までもそうだった。

 そんな中、ハイチ地震に対しての中国の迅速な対応には感心した。ハイチは台湾とつながりが深い。だから、中国は、台湾とハイチのつながりを引っぺがす必要があるとテレビでアナリストは分析する。なるほど、りっぱな分析(嫌味をこめて・・・)。

 僕にとって、どんな分析家がたくさんいても、行動が遅れた日本よりも、素早く決断をし、行動した中国政府のほうが、国際社会からは、人道的にも注目されたに違いないと思う。
 でも、冷めたアナリストは、社会主義の中国では、人道的な社会貢献にも裏があると切り捨てるだろう。

 今、我が国、日本に必要なのはアナリストの分析ではなく、まず、つべこべ言わずに発信してみること。アクションすること。頭でっかちになると、言葉をついやして行動しなくなる。それは、人も国も同じ。

 今の日本はアナリスト社会だと僕は思う。僕たちも熱くなっている人や国を、冷めて見ている。過小評価したがる。

 中国のやることは有人宇宙ロケットの打ち上げから、オリンピックの成功。一方では、ナンチャッてディズーニーランドやミッキー、不思議なドラえもんの着ぐるみを作る国。普通の車をエンブレムを変えるだけでトヨタの高級車に変える国。

 生きるためなら何でもする常識のなさ。でも、中国には日本が消えかけているこれから伸びる熱さを感じる。高度経済成長期の日本がそうだったように。

 すごい勢いで中国の経済がV字回復している。アメリカにも景気回復の兆しがあらわれている。

 日本はと言うと、政治と金の問題で大騒ぎです。
 「木を見て、森を見ず」という言葉がありますが、日本のマスコミは国家100年のことを論じるより、目先の話題性と視聴率が大切なようです。

 僕にとって小沢幹事長の4億円の出所よりも、鳩山首相がお母さんから、いくらお小遣いをもらっていようが、あまり興味がない。もちろん、一つ一つクローズアップして「それは良いことですか?」訊ねられれば「良くないことですね」と答えるだろう。それは、街頭で誰に聞いても、そうなるに違いない。

 ただ、この国の舵取りを真剣に考えないといけない時に、大道の足元の小石にこだわり過ぎて、座り込んで小石を虫眼鏡でながめるより、これからの道の行く末を見すえないといけないと思っている。
 92兆円と言われる日本の国家予算のかじ取りを遅らせたり、誤らせると、より日本は混迷を続けることにつながる時期に。別に92兆円と4億円を比べてたいしたことないと言っているわけではないです。

 成長期の日本ならば、自分たちの目まぐるしい生活向上の裏で、陰に消えていった類の話でしょう。人は人生が苛立つと、他人のことが気になるもの。だから、連日の報道が過熱する。

 大河ドラマの坂本龍馬風に言うと「4億ごときことにかかわちょったら、この国はダメになるぜよ。国家転覆のこのご時世に、そんな小さッきことに関わっては、世界から取り残されてしまうぜよ」「小沢さんおまんに国を救えたら、おまんにも、ようけ儲けさせたるきぃ。頑張らないかんきよ」と言うだろう。 
 悪をもうまく使える龍馬であるなら・・・・・「急いで周囲が、なんちぃ、かんちぃ、小まいこと言わんで、やらせて観るがよ。あせっては何もかんも上手くいかんきよ」

 僕は驚く。今の日本に、鳩山さんのように、数億円という大金をお小遣いとして母親からもらっても、気づかなかったという人がいることに・・。母親もそれを伝えないで秘書に、献金として託したきり、恩もきせないなんて・・・・。
 それは、首相が知っていたか、知らなかったという問題より、そんな華族みたいな一族が、現代にも存在することに!

 経済というのは、お金が流動して初めて動く。金持ちが存在して、たくさん使う。そして、それを見事にポケットに入れて、デカクなり登りつめる人々もいる。そして、せっせと売れる商品をつくるためのアイディアが生まれる。そして、次の層が、その蓄えでお金を吐きだす。そうして、経済は回ってゆく。

 フラットな平等な社会では経済は動かない。なかには登り過ぎると妬みや嫉妬の攻撃を受けることになる。そして、誰かがうまく行き過ぎていないかチェックされる。若者も成功することに憧れなくなる。なぜならば、成功しすぎると攻撃の対象になるから。草食的な普通の生き方を求める。恐ろしいほど、目立つことを恐れ、フラットで居ようとする。

 高度経済成長期には、隣の家にはテレビがある。洗濯機がある。冷蔵庫がある。これらの三種の神器への強いあこがれが経済を動かした。よい意味で上を目指した。どんなことをしても手に入れなければと思った時代。

 今は、どんなことをしても、寝ても覚めても、欲しいと思えるものがない。そう、物が飽和して、いきわたっているのだ。さらに、ニーズをくすぐる新しいものが開発されない。不景気だというムードは失敗を恐れる。だから、販売する企業も、無難な売れ筋の商品だけを作るだけになる。

 だから、アッ!と驚く商品が日本は生まれなくなった。だから、購買意欲をそそられない。だから人が物を買わないからお金が回らない。そして景気は悪くなる。

 当然、景気の悪い時にはチャレンジする商品の開発は、失敗を恐れて上からストップがかかる。だから、チャレンジングな社員は意欲を失う。そして、やる気の落ちた人たちは、普通の生活を生きるようになる。

 社会はフラットな、超平等社会になる。

 今、成人式を迎えた若者は、クルマはいらない。デートは電車で充分だそうだ。なぜなら、将来が不安だからお金は使いたくない。今の若者の流行はB級グルメだし、極めつけは“TKG”だ。そう仲良く友だちと、T(卵)K(かけ)G(ごはん)だそうだ。

 E.Yazawa(歌手の矢沢永吉)は、頂点に成り上がりたいと、ビックになることに憧れた。それは当時だれでも、社会を動かす言動力になっていた。

 おそらく経済が豊かで、上を目指してガムシャラだった時代は、小さなことは大衆の目にふれなかったのだろうし、人がいくら稼ごうが気にならなかったのではないだろうか。

 以前に、タクシーで東京の神楽坂にさしかかった時に、「あ、ここは一方通行が時間帯によって、入れ替わるんだ」と運転手があわてていた。話によると、ここらに田中角栄の愛人がいて、田中角栄が国会議事堂に行くのと、帰るのに合わせて、一方通行が変わるようになったと言う。「この法治国家で!」と僕は声をあげた。そんなことがまかり通った時代もあったことに驚きの声をあげた。それは、良いことだとは決して思わない。ただ、そんなことも社会が伸びて、うまくいくと、気にならなかったのかもしれない。経済の恩恵を皆が得ていたから。
 高度成長時代の熱い上昇気流の気運にあおられて、テレビでも、話題にすらならなかったのだろうと推論できる。

 実際に日本の平均株価は毎日のように報道されるが、10円下がるたびに、日本の財政貯蓄は何百億円の損失を出す。そんな時に、4億円の出所と、オボッちゃま総理の母親からのお小遣いの話に予算審議が空転して、テレビは連日、多大な放送料、電力を使って、「政治と金」とキャッチで大衆の怒りを扇動してゆく。

 情報はマスメディアの望むような道すじで、テレビでは一部だけを切って放送されることが多い。

 普天間の問題しかり。政府内でも意見が違うと騒ぐ。人がたくさんいれば意見が違って当然だし、同じほうが議論の余地がなしで危険だと思う。それに、政党の意見のまとまりが出る前に、一人ひとりの意見を聞けば違って当然。そこを、「〜ある政党員のはなし〜」と無記名でまことしやかに語られる。「今、内の党はもめている」「だれも、○○さんには逆らえないと」この手の話は、「〜ある党員の話〜」、「〜ある側近によると〜」テレビでは恥ずかしげもなく、出どころの不明確な情報を流す。そして、みなで大騒ぎして世論を巻き込んでいく。

 そして、「民主党になってもダメだ」という、意見を取りまとめようとする新聞各社。そして、また次の政権交代と、何も決められないまま、時代は混迷を続ける。変化させるには熟成させ、待つということも大切だと僕は強く思う。
 今のマスメディアは、第二次世界大戦中の勝利を煽った大本営発表と同じで、国民をいら立たせ、不愉快さから何も変わらないまま、政権だけが変わってゆく。

 そして日本は失われた10年どころではなく、20年、30年と国際社会の中で時代に取り残されてしまう。
 まるで、焦って苛立ちながら指し続ける将棋のように、国際競争の敗者の国へと日本をいざなう。
 マスコミは大衆を集団ヒステリーを起こさせて誘導するかのように。昔は西部邁氏が、マスコミ亡国論と呼んだ。マスコミが日本をダメにすると。

 このようなことを書くと、僕は民主党の後援者と思われるかもしれないけれど、僕は民主でも自民でもないし、どこかの政党に肩入れする気もまったくない。ただ、マスコミにすぐに影響される日本のパターンになげいているのです。

 新しい政党になって、わずか4ヶ月で何が変わり、何がわかったと結論をだすというのですか。「急いでは事を仕損じる」と言う言葉がありますが、子供の成績がすぐに上がらないと大騒ぎして子供のやる気を失しなわせる親や、チームの成績が悪いことに怒鳴り散らしてチームの戦意をなくしてしまうダメコーチのように、苛立ちは、次の判断の誤りをくり返えさせる。

 おそらく、このままでは、マスメディアに先導されて、愚衆となった世論は、次の選挙で、また首のすげかえという一手を打つのだろうか?

 崩壊の怖いのは、一人ひとりの判断力が、大衆の雰囲気にのまれてゆくことです。その異常な集団の中に居ると、その異常さに気づかない。テロをはじめ戦争もそうです。

 種の滅びは集団自殺と決まっている。ある種のネズミは狂ったように川に突進して絶滅する。恐竜たちも、より巨大化することで自分の体温を維持できなくなる。

 古代ローマ帝国も、蛮族の侵入によって滅びたと歴史で習ったが、ローマ帝国は、蛮族の侵入する前に、すでに内部が退廃していた。ゲルマンのやったことは切腹したローマ帝国に、後ろから最後に介添えをしたにすぎない。

 ゲルマンの侵入以前に、ローマ帝国はすでに富と快楽だけを追求し、それらの欲求を追及することだけに明け暮れて、その美酒に酔いしれていた。大衆の異常さに気づかないで内部崩壊していたのです。

 現代の時代も、歌もギャグも、「ハヤリ」と「スタレ」のサイクルが早くなっている。まるで人々は、吟味することも味わうことも忘れ、「それ古いから」という集団の大合唱に脅えて、新しい何かにしがみつこうとする。

 狂気とは、おのれの狂気さに気づかないところに真なる恐怖がある。そう、狂った時には、自分の異常さに気づかない。日本もマスメディアと大衆の集団ヒステリーがかさなると、次から次へと、政権を変え続け、景気回復と祈りながら、さらなる混迷に突入していきかねない。

 道に迷ったと、右に左にとハンドルを切り、近道だと、袋小路に入り、バックして、また来た道を戻り、そんな人を見て「落ち着いたら」と声をかけたくなりますよね。

 今の日本はそんな感じに似ています。今こそ、少し立ち止まって、「どこまでやれるかやらせてみよう」と政治を育てる余裕を持ちたいものです。そして、ゆっくりと自分なりに考えて、情報にふり回されないで、これからの日本のあるべき姿をそれぞれで考える、心の余裕を持ちたいものです。

 そして、すべてのマスメディアが、情報を操作したくはないと思っていると僕は信じたい。マスコミ関係者の方、今回はゴメンなさい。しょせん“ひとりごと”ですから。

 でも、妻が言いました。だって、小沢さんより、鳩山さんより、小泉進次郎の顔のほうが信じられるもの。
 僕は、顔で天下国家のまつりごとを決めるのか・・・・でも、やはり、坂本龍馬役も、武田鉄矢よりは福山雅治だものね。「これが、現実ぜよ!」

 なにより残念なのは、新年初のひとり言が、ボヤキで始まったことが、哀れです。せっかくの平成22年のスタートなのに。これも年始に出した熱のせいですか?